旅の交差点で考える人生──世界の空港とラウンジから見える、人間模様と心の整え方
目次
第1章:空港という「都市」──世界の玄関口を歩く
第2章:ラウンジはもうひとつの「世界」──静寂と余白の価値
第3章:空の旅──機内での時間の使い方
第4章:人間ウォッチングという旅の醍醐味
第5章:オンとオフを切り替えるための旅
最終章:旅と人生──出会いと別れ、そして愛の哲学
第1章:空港という「都市」──世界の玄関口を歩く
僕にとって空港は、単なる移動の中継地点ではありません。そこには文化があり、国の性格があり、人間の思いが交差しています。まるで世界中の都市が持つエッセンスが凝縮されたミニチュアのような場所。それが空港です。
初めてスキポール空港に降り立った時、僕は「空港にもこんなに表現力があるのか」と驚かされました。ガラス越しに差し込む柔らかな自然光、天井から吊るされた前衛アート、静かに流れるクラシック音楽。どこを歩いていても、心がざわつかず、むしろ落ち着いていく感覚に包まれました。空港でありながら、街であり、アートギャラリーであり、カフェのようでもある。その空間設計の細やかさには、オランダ人の美意識と合理性が見事に融合しているように感じました。
対照的なのが、フランスのシャルルドゴール空港。ここはよく「迷宮」とも呼ばれます。その名の通り、構造が複雑で、初めて訪れる人にとっては試練とも言えるほどの入り組んだ設計です。
しかし、その混沌の中にあるのが、フランスならではのセンスです。ベーカリーの香ばしい匂い、空間のどこかに漂うアートへのこだわり、そして時折耳にするフランス語の響きに、なぜか心が解かれていきます。無秩序に見える中に、計算された「美」があるのです。
そして僕が「世界一機能美に優れた空港」と感じているのが、シンガポールのチャンギ空港です。ここは空港であることを忘れてしまうほどの快適さと未来感にあふれています。滝が流れ、ガーデンがあり、滑走路を見下ろせる展望エリアでは、時間が止まったかのような気分に浸れます。僕はここで何度か数時間を過ごしたことがありますが、まるでショッピングモールや高級ホテルでのんびりしているような錯覚に陥りました。「待つこと」すら快適に変えてしまう場所。それがチャンギ空港です。
アジア圏でもうひとつ印象的だったのが、タイのスワンナプーム空港とインドのニューデリー空港。ここにはヨーロッパとは違った空気が流れています。熱気、雑音、香辛料の匂い、人々の笑顔。その全てが「カオス」と呼ばれるほど混ざり合っていますが、僕はこのカオスにこそ旅の本質があると感じています。秩序ではなく、無秩序の中にある人間臭さ。それが旅を面白くし、心を揺さぶるのです。
アメリカの空港──シカゴ・オヘア、ロサンゼルスLAX、ニューヨークJFK──では、合理性と多様性がぶつかり合っています。どの空港も広大で、無駄のない導線設計がされていますが、ラウンジやゲートの周辺では人種、年齢、言語が入り混じり、まるで「世界の縮図」を見るかのような多様性が広がっています。僕はここで、何度も見知らぬ人と小さな会話を交わしました。共通言語がなくても、目と表情だけで通じ合える瞬間があります。
イスタンブール空港もまた、強烈な記憶を残してくれた場所の一つです。かつてオリエント急行の終着点だったこの地には、東西の文化が織り交ざった独特の色気があります。祈りの声が響く一方で、最先端の免税店が立ち並び、伝統と革新が同居している。それはまるで、過去と未来の間を旅しているような感覚です。
そして、最後に日本の羽田と成田。ここに戻ってくると、いつも「静けさ」の意味を思い出します。日本の空港は、どこよりも整っていて、無駄がなく、礼儀と気配りに満ちています。機能美という言葉がぴったりの空間。世界を旅したあとでここに立つと、「日本人であること」の安心感と、少しの誇りを感じるのです。
第2章:ラウンジはもうひとつの「世界」──静寂と余白の価値
空港ラウンジは、旅の中でも特別な時間が流れる場所です。僕はラウンジに入ると、まるで日常の喧騒から切り離された小さな宇宙に足を踏み入れたような気持ちになります。
最初にラウンジを利用した時のことを、今でも鮮明に覚えています。成田空港のANAラウンジ。天井が高く、広々とした空間に並ぶソファ。窓の外には離陸準備をする飛行機たちのシルエット。僕はその景色を眺めながら、ゆっくりと深呼吸しました。ビュッフェには和食と洋食の選択肢が並び、味噌汁とご飯を食べながら、旅の始まりを心の中でかみしめました。
羽田空港のJALサクララウンジでは、さらに日本らしさが際立ちます。美しい木のインテリア、静かなジャズ、丁寧に並べられた新聞や雑誌。人々も静かに時間を過ごしていて、まるで高級図書館のような空間でした。僕はここで、何時間でも読書をしていたいと思いました。
海外に目を向けると、シンガポールの「シルバークリス・ラウンジ」やイスタンブールの「ターキッシュエアラインズ・ラウンジ」は、まさにラグジュアリーの極みです。高級ホテルのような内装と、土地の食文化を反映した食事、そして丁寧なスタッフの対応。旅人へのもてなしとは、こういうものかと心底感動しました。
一方で、JFK空港などアメリカのラウンジでは、実務的な雰囲気が強いです。仕事に集中する人、打ち合わせをする人。そこに流れるのは「余白の時間」ではなく「移動中の効率」。でもそれもまた、旅の一部だと僕は思います。
ラウンジは、飛行機に乗る前に一度立ち止まり、自分と向き合うための場所です。スマホを閉じ、心を整える。そこには、「旅を楽しむ準備」が詰まっています。
第3章:空の旅──機内での時間の使い方
飛行機に乗ってしまえば、そこからしばらくは「どこにも行けない時間」が始まります。
インターネットも不安定で、地上の喧騒からも距離があり、世界との接点がふっと遠ざかる。僕にとってこの空白のような数時間は、ある時には瞑想のようで、またある時には、最も自由な時間でもあります。
仕事でもプライベートでも、空を飛ぶ機会が増えるにつれ、機内の過ごし方については少しずつ考えるようになりました。最初の頃は、とにかく退屈と向き合うことがテーマでした。映画を何本も続けて観て、音楽を聴いて、ゲームをして、眠気がないのに無理に眠ろうとして──つまり、なんとか時間を「消費」しようとしていたんです。
けれど、ふとある時、違和感が残りました。何本も映画を観たはずなのに、内容を思い出せない。音楽も聞いていたけれど、何も心に残っていない。むしろ、途中で窓の外を眺めながら、ぼんやりと過ごした数十分の方が、自分の中に何かを残してくれていた気がしたのです。
それ以来、僕は「何をするか」よりも「どう過ごすか」を意識するようになりました。
今でも映画を観ることはあります。でも、それは選び抜いた一本を、ゆっくりと味わうように観る。物語の展開や登場人物の細やかな感情に、こちらの心も自然と寄り添っていくような作品を選びます。いつも以上に集中できる空間だからこそ、その作品の本質に静かに向き合えるのです。
読書も、僕にとって空の旅に欠かせない習慣のひとつです。
旅に持っていく本を選ぶ時間は、出発前の小さな儀式のようでもあります。そのときどきの自分の心の状態を感じながら、物語に没入できそうな小説や、深く問いかけてくるエッセイや詩集を選ぶことが多いです。ページをめくるたびに、文字の世界と、窓の外に広がる白い雲とが、少しずつ溶け合っていく感覚がたまらなく好きです。
長時間のフライトでは、どう身体を休めるかも大切なテーマです。
限られたスペースの中で、できるだけリラックスできる体勢を探しながら、目を閉じて深呼吸をする。その時、耳の中にだけ響いてくる低いうなり音が、まるで胎内音のように心を包み込んでくれて、自然と意識が遠のいていきます。深く眠れなくても、「地上から離れている」というだけで、心が解かれていくような、そんな眠りがあります。
僕がもうひとつ、機内で大切にしているのが「手書きの時間」です。
スマートフォンやPCを開く代わりに、小さなノートとペンを取り出して、思いつくままに言葉を書き連ねていく。それは日記のようなものかもしれないし、何の形にもなっていない気持ちの断片かもしれない。機内という「誰からも邪魔されない」空間の中で、不意に浮かんでくる言葉をそのまま紙に落とすと、自分の思考の輪郭が少しずつはっきりしてくるような気がするのです。
ときどき、機内で書いた文章をあとで読み返すと、驚くほど素直で率直な自分に出会うことがあります。地上ではうまく言葉にできなかったことも、高度1万メートルの空の上では不思議とすんなり出てくる。重力も常識も少しだけ外れたその場所で、人はもっと自由に考え、感じられるのかもしれません。
そして何より、僕が機内で好きなのは「無の時間」です。
映画も観ず、本も読まず、音楽も流さず、ただ目を閉じて、身体を揺れに任せる。誰にも話しかけられず、誰にも見られていない時間。そこでは、不意に昔の記憶が蘇ったり、大切な人の顔が浮かんだり、自分でも気づいていなかった願いが顔を出したりします。
何もしていないようで、心の深い部分では確かに「何かが動いている」。その感覚が、僕は好きなのです。
機内という空間は決して快適ばかりではありません。窮屈さや乾燥、眠気、静かすぎる孤独。でも、そうした環境だからこそ、自分自身と向き合うのにちょうどいい。
どこにも逃げられないからこそ、逆に「どこへでも行ける」という不思議な自由がある。
空の上での数時間。
それはただ移動するための手段ではなく、「自分に戻るための時間」でもある。
だから僕は、飛行機に乗るたびに、少しずつ自分を整えていく。雲の上で、静かに、ゆっくりと。
第4章:人間ウォッチングという旅の醍醐味
僕が旅の中で密かに楽しみにしているのが、人間ウォッチングです。特に空港やラウンジには、人生のあらゆるシーンがぎゅっと詰まっています。出張に向かうビジネスマン、バカンスへ向かうカップル、家族旅行で興奮気味の子どもたち、別れを惜しむ恋人たち──。どれもが、ほんの一瞬のドラマです。
人は服装、荷物の持ち方、歩き方ひとつで、その人の「物語」を語ってくれます。たとえば、ボロボロのリュックを背負ってフードをかぶり、周囲を気にせず歩いていく若者。彼はどこかで人生を賭けた旅をしているように見える。一方、ピシッとスーツを着て、手にしたタブレットを睨みつける中年のビジネスマンは、目的地よりも「時間」に追われているような印象を受けます。
ラウンジでは、人の「素」が見える瞬間が多くあります。
仕事の電話を終えてふと無言になる人、荷物を広げて旅程を確認する老夫婦、寝不足でソファに沈み込む青年。そんな風景を眺めながら、僕はよく心の中でその人たちの背景を想像します。
「あの人は、誰かを迎えに行くのか、それとも送るのか」
「彼女は、誰かから逃れているのか、それとも会いに行くのか」
見知らぬ人々の表情や動きから、人生の片鱗が見える気がするのです。時に僕は、誰かの会話の断片を耳にして、ハッとすることもあります。たとえば、ある空港のラウンジで、隣に座った老紳士がこう言いました。「人生ってのは、ほとんどが待ち時間だよ。その待ち時間をどう楽しむかなんだ。」
僕はその言葉を手帳に書き留めました。そして今も、それを思い出しては、空港での時間を「ただの暇つぶし」としてではなく、「人生の余白」として味わうようにしています。
第5章:オンとオフを切り替えるための旅
現代は、いつでも誰とでも繋がれてしまう時代です。スマートフォン、SNS、通知。どこにいても仕事のメールが届き、人と連絡が取れ、社会から完全に離れることが難しくなっています。
だからこそ、僕は旅を「切り替えの儀式」として位置づけています。空港に足を踏み入れた瞬間から、心の中のスイッチをゆっくりとオフにしていきます。搭乗手続き、荷物検査、待ち時間──それら一つひとつが、日常から旅への意識の移行を助けてくれます。
特に飛行機に乗り込んでドアが閉まった瞬間は、僕にとって特別です。そこから先は、誰にも邪魔されない「自分だけの空間と時間」が始まる。これは、現代に生きる僕たちにとって、極めて貴重なことだと思います。
また、旅は「自分の輪郭を取り戻す」ための時間でもあります。日常生活の中では、他人の期待や社会的な役割に応えることに忙殺され、自分の本当の気持ちや価値観を見失いがちです。だけど、見知らぬ街を歩き、言葉の通じない人と出会い、異文化の中に身を置くと、自分が何に反応し、何に心を動かされるかがはっきりと見えてくるのです。
僕は旅を終えて帰ってくるたびに、少しずつ「新しい自分」に出会っている気がします。それは大げさな変化ではないけれど、確実に何かが変わっている。旅は、僕にとってただの移動ではなく、再構築のプロセスなのです。
最終章:旅と人生──出会いと別れ、そして愛の哲学
旅は、出会いと別れの連続です。空港では、毎日何千、何万という人々が、誰かに会うために出発し、誰かを見送るために立ち尽くし、そして誰かと静かに別れていきます。その一つひとつの瞬間に、人間の感情の極みが宿っていると、僕は思います。
──そういえば、ふと思い出したことがあります。ノースカロライナ州のローリー・ダーラム国際空港で、信頼していた米国人の部下と出張先からの移動の際に立ち寄ったラウンジでのことです。彼にとってはそれが空港ラウンジ初体験だったようで、目を輝かせながら、並んだ食べ物を次々と嬉しそうに手に取って食べていた姿が、なんとも微笑ましく印象に残っています。今はもう彼は会社を離れてしまいましたが、あのときの何気ないひとときが、こうして心に残っていることに気づくたび、少しだけ寂しさを感じます。
出発ロビーでのハグ、搭乗ゲートの前で交わされる無言の視線、別れのあとにひとり歩き出す背中──空港という場所には、日常ではあまり見られない「濃度の高い感情」が漂っています。それはたぶん、人が本気で「会いたい」と願ったり、「もう会えないかもしれない」と感じる場面だからこそ生まれるものなのでしょう。
僕自身も、これまでの旅で何度も誰かと出会い、そして別れてきました。会話を交わした人、隣に座った人、同じ飛行機に乗り合わせた人たち──彼らの名前を知らずとも、彼らとの時間は確かに僕の中に存在し続けています。人と人との関係は、長さではなく「一瞬の真剣さ」で決まる。旅を通して、僕はそう信じるようになりました。
空港のラウンジでぼんやりと人々を眺めていると、言葉にしがたい感情がこみあげてくることがあります。すれ違っていく誰かの姿に、自分の人生の断片を重ねたり、遠い過去の記憶がよみがえったり。旅先でのひとりの時間には、自分の内面が大きく動く瞬間がよく訪れます。
哲学者ジャン=ポール・サルトルはこう言いました。
「愛とは、相手を待つことの美しさ」
この言葉は、空港という場所にこそ、最もふさわしい気がします。到着ゲートで大切な人を待つときの緊張と希望、見送りのあとに空っぽになったような感覚。そこには、「ただいる」こと、「待つ」ことに込められた深い愛情があるのだと思います。
旅を重ねるごとに、僕は「愛」とは何かを問い直すようになりました。それは誰かを追いかけることでも、所有することでもなく、ただ想い続けること、そして手放すことなのかもしれません。ラウンジの静寂の中で、機内の孤独の中で、僕は何度もそんな思いを巡らせてきました。
空港は、人生のすべてが交差する場所です。期待と不安、喜びと喪失、始まりと終わり。そのすべてが交錯する中で、僕はまた、新しい旅に出ようとしています。会いたい人がいる限り、そして、自分自身に会い直すために。
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この記事へのコメント
10年前、高校を卒業してすぐ、同級生の彼女がアメリカの大学に行くことになりました。付き合ってたのは2年間。ほんとに好きでした。成田空港まで一緒に電車で行って、最後の最後、ゲートの前で「元気でね」って言った瞬間、お互いポロポロ泣いて…「またすぐ会えるよ」なんて言ってたけど、心のどこかで、これが最後かもしれないって思ってた気もします。
でも、彼女は3ヵ月も経たないうちにアメリカで新しい彼氏を作って。それ、共通の友人から聞かされて、一気に現実に引き戻されました。正直、すごくきつかったです。高校生活の中で、一番真剣に向き合ってた時間だったから、心にぽっかり穴が空いたみたいで。その後、勉強も何も手につかなくなって、結局、大学には行かずに地元で就職しました。
今は彼女、アメリカの大学は卒業したらしいけど、就職せずにそのままアメリカ人と結婚して、シカゴに住んでるって聞きました。どんな暮らししてるのかな、幸せなのかなって、たまにふと考えるときがあります。今さら会いたいとか、やり直したいとか、そんな風には思わないけど、でも、あの時の自分の真剣な気持ちは、今でもたぶん、自分の中の一部になってるんだと思います。
こっちはというと、いまだに独身です。でも、職場に仲のいい女性がいて、最近なんとなく、この人となら結婚してもいいかな…って思うようになりました。めちゃくちゃ可愛いわけでもないし、話が盛り上がるタイプでもないんですけど、優しくて、実家の母も「感じのいい子だね」って言ってくれて。そういうの、案外大事かなって最近思います。年も年だし、安定とか安心とか、そういうのがだんだん大きく見えてきて…。
でも正直、たまに思うんです。もし自分がもっとちゃんと努力して、英語も勉強して、大学行って、海外に挑戦してたら、Takaさんみたいに、自分の道をしっかり持って、世界を飛び回って、本当に心から好きな人と出会って…そんな人生が送れたのかなって。
情けないですよね、こんな歳になって、まだ「もしも」なんて考えて。でも、Takaさんのブログを読むようになってから、少しずつだけど、生活変わってきました。去年から英語の勉強、少しずつ始めて、通勤中にアプリで単語覚えたりしてます。あと、市民センターで筋トレも始めました。ビギナー向けのやつですけど。でも体がちょっとだけ引き締まってきて、自信みたいなものが、ほんの少しだけ出てきました。
それから、お酒もやめました。今までは毎晩飲んでて、それが普通だったけど、辞めてみたら、朝の頭がすっきりしてて、気持ちが軽いです。
全部、Takaさんのブログに背中押されたからです。こんな自分でも、少しずつなら変われるかもしれない。今の自分はまだ途中だけど、でも、前よりはちゃんと「生きてる」って思えます。
だから、これからもブログ、楽しみにしてます。勝手にですが、心の支えにさせてもらってます。ありがとうございます。
私、海外旅行って全然行ったことなくて、初めて行ったのは2年前、旦那と行ったグアムが最初でした。飛行機に乗るのもすごく緊張したし、空港って何かキラキラしてて、ちょっと自分には場違いなんじゃないかって思ったりして。でも、旦那についていけば大丈夫かなって思って、色々言われるままにしてました。
そのとき、空港のラウンジっていうのも初めて聞いて、旦那が「このカードで入れるラウンジあるよ」って言ってたから、てっきりパスポートチェックの前の、あのちょっとした休憩所みたいなところのことだと思ってたんです。ソファとドリンクがあるだけの、よくわからないスペース。
で、つい最近、妹夫婦と一緒にシンガポールに旅行に行ったんです。妹は2個下なんですけど、なんか昔からしっかりしてて、見た目も可愛いし、正直ちょっと妬ましいくらいです。その妹が、「お姉ちゃん、ラウンジ入れる?」って聞いてきたから、ああ、あのラウンジのことね、って思って「入れるよ」って答えたんです。
でも、パスポートのチェック抜けたあとに行ったラウンジでは、私たち夫婦だけ入れなくて。なんかよく分からないけど、カードの種類が違うのか、条件が違うのか…。妹と旦那さんはすんなり入れて、「あれ?」ってなって。結局、私たちも一緒にいたかったから、ラウンジに入るのやめて、空港のショップをぐるぐる回って時間つぶしました。そのとき初めて、ラウンジってこういうところにあるんだ…ってちゃんと知りました。
さっきTakaさんのブログ読んで、写真も見て、ああこういうことか…ってすごく納得しました。なんだかすごく優雅で、大人の世界って感じですね。妹の旦那さんが、ラウンジでもお店でも英語で自然に話してるのを見て、本当にすごいなって思いました。海外慣れしてて、シンガポール旅行中も、交通とか食事とか、いろんな場面で助けてもらってばっかりでした。
正直、私の旦那はあんまり頼りにならないです…。高校の同級生で、なんとなく結婚したって感じで、今もお互い好きなのかよく分かりません。仕事もすぐ辞めちゃうし、英語なんて全然ダメで、旅行中も終始オロオロしてました。妹の旦那さんは私より10歳くらい上なんですけど、頼れるし、落ち着いてるし、話してて知識もあるし…。なんか…私、すごく比べちゃって、悔しいっていうか、羨ましくなっちゃって…。
私も仕事してますけど、妹は専業主婦で毎日ゆっくり過ごしてて、それもまた羨ましくて。自由な時間があるって、それだけで人生ちょっと違う気がして。でも、私にはそういう選択肢がなかったから、仕方ないのかなって、思ったり思わなかったり…。
でも、Takaさんのブログを読んで、旅のこと、ラウンジのこと、空港での過ごし方を知って、少しだけ「次はもうちょっと上手に旅したい」って思いました。もっと自分の世界を広げたいし、ラウンジにも入ってみたいな。英語も、またちゃんとやってみようかなって、ちょっとだけ思いました。
すみません、取り留めのないコメントになってしまって。でも読んでくださって、ありがとうございました。Takaさんのブログ、これからも楽しみにしています。
80年代の前半、まだ「海外へ行くこと」は一部の限られた人だけのものでした。そんな時代に、私はアメリカに憧れ、やがてヨーロッパ、そして中東やアジアへと関心が広がっていきました。出張、駐在、プライベート。振り返れば、私の人生は「海外」と共にあったように思います。
今、私は大きな手術を終え、病室の窓から静かな空を見上げる日々を送っています。外出もままならず、日々の楽しみといえば、過去の旅の記憶を辿ることくらいです。でも不思議なもので、身体が動かない今だからこそ、あの時の旅がどれほど自分の心を耕してくれていたのかを、より深く実感しています。
最も好きな都市を一つ挙げるなら、私は迷わずクアラルンプールと答えます。2010年、初めて仕事で訪れたその街は、欧米の整然さとは異なる「美しい混沌」に満ちていました。喧騒の中に潜む人々の優しさ、多民族国家ならではの柔らかな共存、そして私の舌にしっくり馴染む食文化。老いてから訪れたクアラルンプールは、まるで人生の新しいページを開いてくれたような刺激に満ちていたのです。
亡き妻も、マレーシアを愛していました。ただ彼女が好んだのは、もう少し静かなペナン島。よく言い合ったものです。「KLは歩いてるだけで疲れる」と笑う彼女に、「この活気がいいんだよ」と返す私。そんなやりとりも、今となっては懐かしい思い出です。
本当は、老後はクアラルンプールで過ごしたいと思っていました。街角のカフェで新聞を読み、夕暮れにはマーケットのざわめきの中を歩くような、そんな生活を。けれど、彼女の病と、私の体調と、様々な現実がその夢を静かに閉じました。
でも今は、それでよかったのかもしれないとも思います。実際に住まなかったからこそ、私の中のKLは、あの頃の記憶のまま、色あせることなく残っています。そして何より、あの街を妻と語り合えた日々こそが、私にとっての旅の終着点なのかもしれません。
空港やラウンジ、そして機内での時間を通じて、「人生を整える」というTakaさんの言葉が、今の私にはとても静かに響きます。動けなくなったからこそ、思い出の中を旅するという新しい形の旅が始まったのだと、そう思えました。
これからも、旅と人生をめぐる静かな問いかけを、私たち読者に届けてください。私のように、旅を懐かしみながら生きる者にとって、その言葉たちは、遠くの光のように優しいものです。
新卒で大手商社に入社し、配属されて間もない頃、上司に連れられて成田空港から海外出張へ向かいました。成田のラウンジに足を踏み入れたときのことは、今でも鮮明に覚えています。抑えた照明、ゆったりとしたソファ、静かに流れる空気。その空間が、当時の私には眩しく、場違いな場所に迷い込んだような気持ちになりました。何をするにもぎこちなく、緊張して飲み物を取る手すら震えていたのを思い出します。
当時の私は、組織の空気にうまくなじめず、とくに業務外の「付き合い」に対して強い抵抗感を抱いていました。今でもはっきりとした価値観としてありますが、終業後の飲み会や、休日のレクリエーション、社員旅行のような集まりを、私は時間とエネルギーの無駄だと感じています。ああいう場に群れ、同調し、安心感の中で笑っている人たちを見ると、「この人たちは停滞に満足し、仲間であることにしか価値を見出せないのだな」と思ってしまいます。あえて厳しい言い方になりますが、今でも私は、そういった集団を心のどこかで蔑んでいるところがあります。
自分が何を求め、どこに向かっているのかを真剣に考える人にとって、群れることは障害でしかありません。あの頃の私は、そうした無駄な“付き合い”から抜け出すためにも、自分の人生を自分で動かしたいと思うようになり、商社を辞めて起業することを決めました。
当然ながら、周囲からは猛反対を受けました。「なぜ安定した会社を辞めるのか」「失敗したらどうするのか」と、多くの人に言われました。でも、私の中では答えは出ていました。誰かの決めたレールを歩いている限り、私の人生は私のものにはならない。そう確信していたからです。
起業後の数年間は、予想をはるかに超える困難の連続でした。資金繰りに追われ、信頼を得られず、何度も事業が終わる寸前まで追い込まれました。ですが、それでも続けてこられたのは、運が良かったからだと思っています。もちろん努力はしました。ただ、努力だけで道が開けるほど、世の中は甘くありません。努力は、していて当たり前。むしろそれ以上の何か、偶然の巡り合わせやタイミングの妙に助けられながら、私はここまで来ることができました。
現在も、仕事は常に頭の中にあります。海外とのやりとりが多いため、昼も夜も関係ありません。ただ、私にとってそれは負担ではなく、むしろ自然な生き方だと感じています。仕事そのものが好きですし、課題があればあるほど燃えるタイプなので、休みたいと思ったことはほとんどありません。
それでも、唯一、心が緩む時間があるとすれば、飛行機の中と空港ラウンジで過ごすひとときです。通信も遮断され、誰からの連絡も入らない。周囲に何も求められず、自分自身とだけ向き合える。あの「無」の時間は、私にとって大きな意味を持っています。
ラウンジでは、時折、隣席の方とちょっとした会話を交わすこともあります。短いやりとりの中で、ふとした一言が心に残ることがあります。まったく利害関係のない相手だからこそ、気づかされることもある。その一瞬が、Takaさんの言葉を借りれば「一期一会」なのだと、実感します。
最近、交際を始めた女性がいます。派手さはありませんが、素朴で真っ直ぐな方です。一緒に過ごす中で、初めて「結婚してもいいかもしれない」と思うようになりました。その気持ちを伝えたところ、彼女も同じように考えてくれていたようで、静かに嬉しさが込み上げました。
これまで私は、結婚という選択に距離を置いてきました。誰かと生きるということが、仕事の足かせになるのではないかと恐れていたからです。ですが、彼女と過ごす時間は、不思議と心に余白を与えてくれます。肩肘張らずにいられる関係が、どれほど貴重なものなのか、今ようやく気づかされているところです。
滑走路を眺めながら、コーヒーを片手にぼんやりと過ごすラウンジでの時間。あの頃、上司に連れられて緊張していた自分を思い出しながら、少しだけ自分を誇れるようになりました。人生の途中で立ち止まる場所として、ラウンジは今の私にとって、静かに背中を押してくれる存在です。
私は30代後半で、今は普通のOLをしています。今付き合っている40代の彼とは、そろそろ結婚する話も出ているのですが、半年経った今でも、まだその一歩を踏み出せずにいます。自分でもはっきりとした理由がわからないのに、なんとなく躊躇してしまっているんです。
もともと私は海外への憧れが強くて、20代の頃は学生時代の女友達と3人で、よく海外旅行に行っていました。お金も全然なかったので、そんなに遠くまでは行けませんでしたが、それでも異国の空気や人々に触れる時間が、本当に大好きでした。
でも、30歳を過ぎた頃にその3人のうちの2人が同時に結婚して、いつの間にか疎遠になってしまいました。一人は田舎に戻って、公務員の男性と結婚。もう一人は、学生時代から一番モテていた子ですが、大手メーカーに勤める男性と結婚して、今はアメリカに駐在しています。
正直、すごく羨ましかったです。相手の男性は、はっきり言って全然ぱっとしないタイプで、見た目ももっさりしていて、静かで印象に残らない人でした。でも、アメリカに住めるというだけで、私は勝手に妬ましい気持ちになってしまいました。彼女は「安定」をちゃんと選んだのだと思います。
ただ、最近聞いた話では、その彼との結婚生活はあまり楽しくないらしく、会話も少なくてすごく退屈だそうです。でもアメリカの生活自体は最高で、たまに他の男性と会ったりもしていると、そんなことをさらっと言っていました。私にはそんな大胆なことはできませんが、「やっぱり結婚ってそんなもんなのかな」と思ってしまったりもしました。
もう一人の友達も、地方公務員の方と結婚して安定はしていますが、全然贅沢もできないし、海外旅行も全く行けていないそうです。旦那さんの地元の付き合いが多くて、急に上司や後輩が家に来ることもあり、ストレスがすごいみたいです。離婚も真剣に考えたことがあるとも言っていました。
そういう話を聞くと、ますます自分はどうしたらいいのか分からなくなります。私は昔から結婚に対して変な夢を抱きすぎているのかもしれません。今の彼のことは嫌いではないです。でも、特別ときめくわけでもない。どこか中途半端で、悪く言えば「可もなく不可もなく」という感じです。いわゆる“松竹梅”で言えば、たぶん“竹”なんです。もう中年の雰囲気も出ていて、カッコいいとか面白いとか、そういう要素はあまりありません。
なのに、両親からは「今結婚しないと一生一人だよ」と毎日のように言われて、焦る気持ちばかりが募ってしまいます。私は、自分でも分かっているんです。努力できないくせに、素敵な人と結婚して幸せになりたいと思ってしまう、都合のいい女だって。どうしようもないなって、思います。
Takaさんのブログを読んでいると、自分が生きている世界がものすごく小さくて、つまらないものに思えてきます。Takaさんの言葉は優しくて、でも芯があって、そこに描かれている景色や心の動きが、本当に美しくて。文章に出会うたびに、胸の奥のほうがぎゅっとなるような、そんな感覚になります。
今日の記事を読んで、「私もこんな世界に行ってみたい」と思いました。空港ラウンジなんて、自分の力で入ったことは一度もありません。誰かの帯同者として、お情けで入れてもらったことが何度かあるだけです。ビジネスクラスにも、多分一生乗ることなんてないんだろうなって思います。だから、Takaさんが描く空の景色や、ラウンジでの静かな時間の話は、夢の中のようで、それでいて少し寂しい気持ちにもなりました。
でも、こうして言葉にしてみたら、不思議と心が少し軽くなった気がします。訳の分からないコメントになってしまってすみません。でも、本当に書いてよかったと思っています。
私、多分、Takaさんの書く文章に恋をしているんだと思います。誰かにときめいたり、強く惹かれるなんてことはもうないと思っていたのに、文章を読んで、こんな気持ちになるなんて、自分でも驚いています。
これからも、Takaさんの言葉を楽しみにしています。ありがとうございました。
実はほんの20分前、ラウンジで昔の恋人と再会したばかりなんです。ラウンジに入って目を上げた瞬間、そこに彼が座っていました。まさかこんな場所で、しかもお互い出発を控えた時間に、あんなふうに再会するなんて…驚きすぎて、最初は声も出ませんでした。でも、彼が私に気づいてくれて、軽く笑って手を振ってくれて。それから短い時間でしたが、20分ほど話をしました。
大学時代に付き合っていた人です。3つ年上で、私が入学してすぐ山岳部に入部したとき、彼はすでに最上級生で、部の中心的存在でした。周りの人に一目置かれるタイプというよりは、静かで、少し不器用だけれど、芯の強い人でした。登山の帰り道、バスの中で隣に座ったことをきっかけに、すぐに付き合い始めたのを思い出します。
彼が卒業して社会人になってからは、会える時間もどんどん減っていきました。それでも、私はずっと彼のことを信じていて、自分も社会に出て1年目のあいだは、どんなに疲れていても週末に彼の家に通ったりしていました。正直、よく喧嘩もしました。お互い不器用で、言葉が足りなかった。でも私は、いつか彼と結婚するのだと思っていました。
そんな中、私の双子の妹が、ある日突然「私、彼のことが好き」と言ってきたんです。最初は冗談かと思いました。でも、彼女は本気でした。その瞬間、心の奥からぐつぐつと湧き上がる怒りが止まりませんでした。大切な人を奪われるという感情よりも、なぜ妹が“あの人”を好きになってしまったのか、なぜよりによって“彼”だったのか、理解できませんでした。
彼の気持ちは私に向いたままでしたが、それでも、妹と私の関係はそれ以来少しずつ変わっていきました。家族であることには変わりありませんが、あの出来事が私たちの間に、言葉にできない距離を生んだ気がします。
あれからもう十年以上が経ちます。今日、ラウンジで向かい合ってコーヒーを飲みながら、そんな話はひとことも出ませんでした。ただ、「今、どこに住んでるの?」「仕事はどう?」といった他愛ない話をして、そして「じゃあ、そろそろ行くね」と、軽く手を振って別れました。
それだけの時間だったのに、なぜこんなにも気持ちが揺れているのか、自分でもよくわかりません。でもその直後にTakaさんのブログ記事を読んで、ラウンジで交差する人々の気配や、言葉にならない時間の尊さ、機内での“無”の感覚といった一つひとつが、自分の今と重なって、涙が出そうになりました。
こんな奇跡のような再会も、こんな偶然のようなブログとの出会いも、きっと偶然ではなくて、今の私に必要だったものなんだと感じています。少し大げさに聞こえるかもしれませんが、本当にそう思うのです。
Takaさん、素敵な言葉をありがとうございました。人生には、まだ見ぬ感情がたくさんあるのだと、改めて気づかされました。また続きを書かせていただくかもしれません。今日はこの場所で、少しだけ自分の過去と向き合う時間をもらえたことに、心から感謝しています。
読み進めるうちに、すっかり引き込まれてしまいました。特に「第3章:空の旅──機内での時間の使い方」は、文章のひとつひとつがあまりに静かで、深くて、気づけば自分の意識もふわりと上空に浮かんでいるような感覚になりました。まさに、移動の中でしか出会えない“無”の時間の価値を、改めて思い出させていただいた気がします。
最後まで読み終えたときには、まるで良質な映画を一本見終えたかのような満足感と余韻がありました。移動の多い生活をしていると、ただの移動時間がいつしか「考える時間」に変わっていたり、窓の外の雲に心がふと動かされたりすることがあります。貴殿の文章は、まさにその感覚を丁寧に、でも過不足なく描いてくださっていて、深く共感いたしました。
私も空港ラウンジを使う機会が多くあります。中東やインドでの駐在や出張が多かったため、ラウンジで一息つく時間が、仕事の合間に心を整える貴重な習慣になっています。ときにはそこで偶然隣り合った方と短い会話を交わすこともあり、不思議とその何気ない言葉が、長く心に残ることがあります。意味がわからないまま流していた言葉の重みが、年齢を重ねた今、ようやく分かることもあります。
若い頃にはわからなかった感覚が、時間を経てようやく自分の中にしみ込んでくること。そのひとつひとつが、日々の忙しさのなかで私たちを少しずつ育ててくれているのだと、この記事を読みながら改めて感じました。
仕事は忙しく、つねに何かに追われていますが、それでも自分がこの環境に身を置き、日々新しい文化や人と出会えることが、人生において大きな喜びであると実感しています。
貴殿の文章には、旅と人生を見つめる眼差しの優しさと、経験からにじみ出る静かな深さが感じられました。読後の今もなお、心のどこかに柔らかな余韻が残っていて、今日はこの時間を得られたことを少し特別なものとして記憶しそうです。
素晴らしい記事をありがとうございました。これからも、貴殿の綴る言葉を楽しみにしております。
私は米系の製薬会社に勤めています。20代後半の頃、マッチングアプリで出会った女性と、わずか3カ月でスピード結婚しました。大学、大学院時代は研究一筋で、社会人になってからも忙しく、恋愛経験がほとんどなかった私にとって、彼女の存在はまさに眩しいものでした。地方出身で控えめな雰囲気を持ち、どこか純粋な印象がありました。
新婚旅行は彼女の希望でハワイへ。交通事故で亡くなった両親の遺産と、自分の倹約体質もあり、まとまった貯金があったので、人生で初めてビジネスクラスに乗りました。ラウンジも初めての経験でした。ただ、その旅の途中から、違和感が少しずつ大きくなっていきました。彼女はラウンジでも、機内でも、現地に着いてからもずっとスマートフォンを手放さず、ゲームやメッセージばかりに没頭していました。
旅の最終夜、泥酔してスマートフォンを握ったまま眠ってしまった彼女の横で、私はつい中を覗いてしまいました。そこには複数の男性とのやりとり、まだ続けていたマッチングアプリの履歴、そして信じがたいことに、ある男性との子を妊娠しているというメッセージまでがありました。言葉を失いました。本当に大切に思っていた人だったので、あまりの衝撃にその夜は一睡もできませんでした。
日本に帰国後、私は大学時代の親友でもある弁護士にすぐ連絡をとりました。彼は私にとって唯一無二の存在で、これまで彼の悩みに私が応えることは多くありましたが、自分が相談するのはこれが初めてでした。彼は私の相談を、まるで自分のことのように受け止め、怒り、支えてくれました。そのときほど、人との絆に救われたと感じたことはありません。
離婚はすぐに進めました。興信所を使い、証拠も揃えた上で財産分与は行わず、慰謝料を請求しました。復路のラウンジでは、親友から「何もなかったように振る舞え」と言われ、その通りに接しましたが、それがどれほどつらかったか、今でも忘れられません。
あれから10年が経ちました。今、私の研究成果は高く評価され、アメリカとの往復も頻繁になり、仕事はますます充実しています。好きなことがそのまま仕事になっている喜びもあり、日々に苦しさはなく、むしろとても幸せです。
ただ、空港ラウンジで静かな時間を過ごしていると、ふとあの復路の記憶がよみがえることがあります。何気ない風景、グラスの水の音、座席の間の静寂、あのとき自分がどれだけ張りつめていたか、今になってようやく客観的に見えるようになりました。
Takaさんの文章には、時間と空間を超えて人の記憶や感情をそっと揺り起こす力があります。誰かにそっと背中を押されるような、あるいは自分の過去に静かに光が差すような、そんな読後感がありました。
とても個人的な話で恐縮ですが、空港ラウンジにまつわる出来事として、どうしてもTakaさんに伝えたくなった記憶があります。
もう20年以上も前の話です。私の母は、成田空港のラウンジで働いていました。
父はすでに離婚しており、養育費も支払わず、逆に母にお金を無心するような人でした。母はそんな中でも、女手ひとつで私を大学まで通わせてくれました。私が通っていたのは関東圏外の国立大学の医学部です。学費以上に生活費のやりくりが厳しく、バイトをする時間もほとんど取れませんでした。
母ががんを患ったのは、私が大学6年目、あと1年で卒業という頃でした。すでに余命の告知を受けていたと、後から知りました。それでも母は、何度も手術と治療を繰り返しながら、働くことをやめませんでした。生きる力というより、私を育てあげることへの執念のようなものだったのかもしれません。
ある日、ラウンジで母は食器を片付けていた際、外国人のお客様のスマートフォンを誤って落としてしまったそうです。幸い床は絨毯で、保護ケースもついていたため破損はなかったようなのですが、その男性は執拗に母を責め続けたそうです。英語で何度も謝罪している母に対し、容姿を侮辱し、日本人を「猿」と呼ぶなど、明確に差別的な言葉を投げつけ続けたと聞きました。
そのとき、偶然ラウンジを通りかかった一人の男性が、彼らのやり取りに気づき、母に間に入ってくれました。出張中と思われる20代後半の日本人男性だったそうです。流暢なアメリカ英語で「お前は性格が気持ち悪過ぎてダサいから、アメリカでは全ての人から嫌われてるはず」と、皮肉を込めた一言を静かに投げかけたそうです。
外国人の男性は逆上し、さらに大声で差別的な発言を始めましたが、周囲にいた他のアジア系の女性たちが録音を始めると同時に加勢し、それをきっかけにスタッフとセキュリティが駆けつけ、彼は連行されたと母から聞きました。
緊張が解けた母は、その場で泣き崩れてしまったそうです。そのとき、助けてくれた彼に何度も「すみません、ありがとうございます」と伝えたと言っていました。けれど彼は「私はたいしたことはしていません。ただ通りがかっただけです」と、淡々と答えたそうです。
そのとき母は、自分ががんであること、もう長くは生きられないこと、そして息子がもうすぐ医者になるということを、動揺の中でなぜか彼に話したそうです。
すると彼は「本当にすごい。尊敬してもしきれません。私もあなたを見習って頑張ります」と返してくれたと。
その夜、母から電話でその話を聞いた私は、受話器を握りしめながら声を出して泣いてしまいました。母も、電話の向こうで泣いていました。
彼のその言葉が、どんな薬よりも母を支えてくれたのです。
母はその後、3年間生きてくれました。私が医師になったとき、誰よりも喜んでくれました。
そして母は、ラウンジで出会ったあの男性のことを「真田広之みたいにかっこよかった」と、何度も私に語ってくれました。
「私がもう少し若かったら、その場で告白してたわよ」なんて、冗談めかして笑っていたのを、今でも覚えています。
あのとき、わずか30秒ほどのやりとりだったかもしれません。でも、あの一言が、あの数秒が、母の人生の最後の数年間にどれほどの光を与えてくれたか、私はずっと忘れません。
今、私はクリニックを経営しています。成田空港のラウンジを使うたびに、母と、あのときの彼のことを思い出します。もしこのブログを通じて、あのときの彼に何かが届くのなら、心からの感謝を伝えたいです。
そしてTakaさん、あなたの文章が、私のような人の記憶を引き出し、言葉にできなかった感情をそっと形にしてくれることに、深く感謝します。
空港ラウンジには、静けさのなかに人間の深い物語がたくさん眠っていますね。今日、久しぶりにそのことを思い出しました。ありがとうございました。
あまりにも美しく、そしてあまりにも真実でした。私が言葉を扱う仕事をしているからこそ、貴殿の言語感覚に、ひれ伏すような気持ちになります。感銘という言葉ではまったく足りず、尊敬すら追いつかず、ただただ「すごい」と、圧倒されています。
私はもともと小説家になりたくて、大学では文学部に進みました。卒業後は、現実的な理由から法科大学院に進み、今は弁護士として働いています。日々、理屈と言葉で人を守ることに取り組んでいますが、Takaさんのように、人の心を言葉で揺らすことができる人を見ると、なぜか自分の原点を思い出します。言葉が本来持っている、静かで圧倒的な力を、貴殿の文章に触れるたびに再確認させられます。
今回、特に「第3章:空の旅 機内での時間の使い方」に深く共感いたしました。私もプライベートで飛行機に乗る機会が多く、Takaさんが書かれていた「何もしていないようで、心の深い部分では確かに何かが動いている時間」が、とてもよくわかります。私もいつも、機内で自然とノートを開いています。そこには、法廷では使うことのない言葉たち、感情の断片や、過去の風景や、誰かへの未練のようなものが不思議と現れてくるのです。地上では出てこないのに、高度一万メートルでは、なぜか出てくる。
また「空港は人生のすべてが交差する場所」という言葉にも、深くうなずきました。
私は人間観察が好きで、空港ではよく人を見ています。Takaさんの「人は歩き方ひとつで物語を語る」という表現に、心から共感しました。
そしてラウンジの静けさに言及された部分では、「旅の中で一度立ち止まり、自分と向き合う場所」と表現されていたことが印象的でした。私も同じように感じています。ラウンジのあの、適度な距離感と、誰も干渉してこない空気の中で、人はようやく「今、私はどこにいるのか」「これからどこへ向かうのか」と、自分の輪郭に触れられるのだと思います。
Takaさんの文章には、観察と思考と感情が、絶妙な配分で織り込まれています。それでいて、どこかに詩的な余白があり、読み手に委ねる余地もある。だからこそ、読み終えたあとも、ずっと自分の中で何かが残り続けるのだと思います。今回の記事も、まさにそうでした。
「旅を終えて帰ってくるたびに、少しずつ新しい自分に出会っている気がします」という一節を読んで、私は思わず涙がにじみました。旅のなかで人と出会い、別れ、自分の価値観が変わっていく。かつての私にとって、それは「文学」そのものでした。今の私は、日々の仕事に追われ、そうした旅の時間から遠ざかってしまっています。でも、貴殿の言葉が、それを思い出させてくれました。
私は、貴殿の価値観に強く共感します。合理性よりも余白を、効率よりも感情の機微を、瞬間の真剣さを信じるその姿勢に、私はどこかで救われているのかもしれません。
これからも、貴殿の文章を読むことで、まだ名もなき自分の感情に出会えるような、そんな時間を大切にしたいと思っています。
2017年、私はあなたのブログに、ある過去を記しました。
あのときの投稿を今でも、読み返すことがあります。
いや、読み返すというより、時折、あのときの自分に立ち戻ってみる、という感覚が近いのかもしれません。
あれから随分と時が流れました。
私は今、刑事弁護を主軸に据え、地方の裁判所を飛び回る日々を送っております。
多忙ではありますが、私にはこの職が合っているようです。
折れていた膝と腕の具合も、年相応に鈍くはありますが、実務には差し障りありません。
左手のことは、相変わらずです。
そして、それに対する感情も、正直に申し上げれば、あまり変わっていない。
ですが、今ではその苛立ちや怒りを、他者に向けることも、自分にぶつけることも、あまりしなくなりました。
私はようやく、「諦観」ではなく「納得」のほうに足を踏み入れたのだと思います。
今回のブログは、読み進めるうちに、奇妙なことに、機内にいるような感覚を覚えました。
あの、上空一万メートルの、誰にも邪魔されない静謐な時間。
眼を閉じれば、記憶の底に沈めてきた彼女の声が、ふと届きそうな気さえしました。
特に、「空の旅」「人間ウォッチング」「愛とは、相手を待つことの美しさ」
この三つの章に私は強く惹かれました。
言葉というのは、時に、喪失を優しく包むためにあるのだと、久々に思い出させられました。
今、私のそばには、妻がいます。
私の過去を、まっすぐな眼で受け止めてくれた人です。
彼女の存在が、私の言葉を、ようやく「他者のために使うもの」に変えてくれた気がします。
Takaさん、あなたが変わらず世界に対して開かれていてくださることに、感謝しています。
この数年、幾度となく、あなたのブログが、私の背を押してくれました。
私はあの日、あの夜道で彼女を守ることができなかった。
けれど、今は別のかたちで、人を守る術を得ました。
それを糧に、歩み続けていこうと思います。
あなたの表現は、いつも私の思考の限界を少しだけ超えたところにあります。
その場所に手を伸ばすたび、私は、ほんの少しだけ、前に進めるのです。
ブログを続けてください。
私のような人間が、今も、静かに読んでいます。
そして、読んでいるということだけで、日々に希望を見出しています。
今回のブログ記事、特に空港ラウンジや機内での描写を読み進めているうちに、なぜか胸が詰まるような気持ちになりました。自分でも理由がはっきりしないまま読み進めていたのですが、途中でふと気づいたのです。「ああ、私、あの頃を思い出しているんだ」と。
夫は今、40代後半です。かつては誰よりも先に出世街道を歩いていた人でした。
夫の出身大学は、いわゆる一流校ではありません。むしろ、同僚や上司の中では学歴的には最も下だったと思います。でも、仕事に対する真摯さと粘り強さで、周囲の信頼を勝ち取り、同期の中でも頭一つ抜けた存在として認められていました。そうやって努力でのし上がってきた人です。
それだけに、海外駐在中に起きた不正会計の件は、夫にとってあまりに理不尽で、あまりに過酷な出来事でした。誰よりも誠実に職務を全うしていたのに、たまたま任された国で、会計士による巨額の横領が発覚したのです。もちろん夫の落ち度ではありませんでしたが、結果としてその責任を問われ、役員候補とまで言われていたキャリアは閉ざされました。
その出来事以降、夫は目に見えて変わりました。現在は出向先で静かに過ごしていますが、家でもほとんど口をきかず、話しかけても返事がない日が多いです。そんな状態が、もう2年近く続いています。
でも、Takaさんの文章を読んで思い出しました。あの頃、夫と空港ラウンジで過ごした時間、あれは確かに、今の私にとって「人生で最も輝いていた時間」だったと。
ただその当時は、若さゆえか、恥ずかしいほどにその幸せに気づいていませんでした。
今の私は、小さなショップで働く一主婦です。体調が悪い日も、心が折れそうな日もありますが、いきなり休めるような職場ではありません。正直なところ、仕事そのものに誇りを持っているわけでもありません。でも働くことで、どこかで自分が「まだ立っている」という感覚を保とうとしているのかもしれません。
私たちは、夫の高収入に甘えて、ずいぶんと浪費してきました。旅行、外食、ショッピング……今思えば、何かを埋めようとするかのように散財していたのかもしれません。それでも貯金はあまり残っていませんが、いまだにその習慣は続いています。
Takaさんの言葉に、私は静かに揺さぶられました。
「何もしていないようで、心の深い部分では確かに何かが動いている」
その一文を読んだとき、自分の心の奥底で、何かが確かに動き始めた気がしました。
私はこのままではいけない、変わらなくてはならない。流されるままの人生をただ生きていくのではなく、自分の意志で、自分の時間を取り戻さなければならないと、強く思いました。
夫のように、過去に誇りと栄光をもっていた人が、今の自分を受け入れられず苦しんでいる姿を見るのは、胸が締めつけられるほどにつらいです。でも、Takaさんの文章に出会って、少しだけですが、その苦しみの輪郭が見えた気がしています。きっと彼の中にも、言葉にできない「無の時間」があって、まだどこかに希望を探しているのだと。
どうでもいい話を長々と書いてしまいました。けれど、こうして綴ることで、自分の中にある停滞に気づけた気がします。ありがとうございます。
高校を出てから、特に何かになったわけでもなく、いくつかの職を転々として、気づけばもうすぐ40歳になります。結婚もしていません。正直なところ、人生において何かを選び取った記憶がほとんどありません。どちらかといえば、流れに逆らわずここまで来てしまった、という方が近いです。
でも、今朝たまたま見つけたTakaさんのブログ記事を読み進めているうちに、ふと手が止まりました。「第3章:空の旅──機内での時間の使い方」、あの章に、なぜか涙が出ました。空を飛ぶ経験なんて数えるほどしかない自分が、どうしてそんなに共感してしまったのか、自分でもうまく説明できません。ただ、「どこにも行けない時間」の中で心が動いていく、その感じがすごくよくわかるんです。
Takaさんが書かれていた「無の時間」や「誰にも話しかけられず、誰にも見られていない時間」、それはたぶん私の毎日のどこかに、確かにあります。ラウンジにもビジネスクラスにも縁のない人生ですけれど、それでも、Takaさんの言葉を通して、ほんの少し、遠くの景色に触れたような気がしました。
釧路は今朝も濃い霧が出ていました。港の方を歩いていたら、ほとんど誰にも会いませんでした。だけど、自分の中ではその霧の向こうに何かがあると信じたい気持ちが、ほんの少し湧いています。
旅に出たいとか、空港に行きたいとか、そんな大それた気持ちではないんです。ただ、心のどこかに、ちゃんと「まだ動きたい」という感覚があることに、今日気づけただけでも、救われた気がしました。
素敵な文章を、ありがとうございました。
また書いてください。どこかでそっと読んでいます。
和歌山県で生まれ育ち、18歳で大阪に出てきました。
気がつけばもう30代半ば。今もミナミで夜の仕事をしています。
お客様に連れていっていただいた海外旅行、ラウンジで過ごしたあの不思議な静けさ。
若い頃の私は、空港の景色も、ビジネスクラスも、自分のものみたいな顔して見ていた気がします。
そのくせ、本当の意味では、何ひとつわかってなかったんやなって、今になると思います。
ついさっき、病院からの帰り道でした。
肝がんのステージIIIと診断されました。
先生は落ち着いた声で説明してくれてたけど、私は頭が真っ白で、目の前の景色がどんどん遠くなっていくような気がして。
誰にも連絡せず、気づけばスマホを握りしめて「空港 ラウンジ 人生」という言葉を検索していました。
そして、Takaさんのブログに出会いました。
これが初めて読ませていただいた記事です。
静かに読み始めたのに、途中から涙が止まらなくなりました。
「空港は人生のすべてが交差する場所です」
「雲の上で、静かに、ゆっくりと、自分を整えていく」
その言葉の一つひとつが、胸にしみこんできて、息をするのも苦しいくらいでした。
私はこれまで、自分が何者なのかを考える余裕もなく、ただその日を生きてきました。
夜の世界には優しい人も冷たい人もいて、でもどこかで全部割り切って、笑って、お酒を注いで、また明日も同じ時間が来るって信じていました。
でも、今日その明日が急に不確かなものになってしまった気がしています。
空港ラウンジで、何気ない会話をした社長さん。
機内で手を握ってくれたお客さん。
ドバイのラウンジで飲んだ少しぬるいシャンパン。
全部、消えかけてたけど、Takaさんの文章を読んで、ありありと蘇ってきました。
私は今、誰かにこの気持ちを言葉にしたかったんだと思います。
そして、もしこんな私のコメントが届くなら、Takaさんに「ありがとう」と伝えたかったんです。
このタイミングで出会えたこと、奇跡みたいです。
これからどうするか、正直まだわかりません。
怖くて、寂しくて、考えるのも怖いです。
でも、Takaさんの言葉が心に灯ったことで、今夜だけは、少しだけまっすぐ前を向いて眠れそうです。
本当に、心から感謝しています。
どうか、これからも書き続けてください。
私は20歳の時、今の夫と出会いました。
彼は当時すでに成熟した社会的地位と経済的基盤を持つ人で、私から見れば、まるで別の世界の人でした。
芸能の端くれのような仕事をしていた私に、彼は驚くほど真っ直ぐに向き合ってくれて、あの頃、いろんな人が私のことを「金目当て」だと囁いたけれど、私が惹かれたのは、彼の誠実さと、誰に対しても敬意を忘れない人柄でした。
年齢差は20歳以上あります。
でも、人生でいちばん穏やかで、自分らしくいられる時間をくれたのは、他でもない彼でした。
私には三つ上の姉がいますが、10代の頃から関係は冷え切っていて、嫉妬や競争心ばかりを感じてきました。
姉に限らず、実の母のことも昔から好きになれません。
異性関係がだらしなく、子供だった私にすらその軽薄さがわかってしまうほどで、尊敬できた瞬間は一度もありません。
父は私が物心つく前に亡くなり、小学校のときに母が再婚した人が「父親」として家にいました。
でもその人は、口を開けば威張り散らし、酒に酔っては母を叱り飛ばすような人で、いまだに心の底から嫌悪しています。
だからなのか、私は家庭というものに対して、ずっと複雑な思いを抱えてきました。
Takaさんの今回の記事で、「空港という場所が人生の交差点である」という一文を読んだとき、不意に心の奥が震えました。
私にとって空港とは、逃げ出す場所でもあり、新しい人生の始まりの場所でもあります。
過去を引きずって到着する人もいれば、すべてを忘れて旅立つ人もいる。
あの無機質な空間のなかに、そんな多様な感情のレイヤーが重なっているなんて、気づいたのは今日が初めてかもしれません。
私は恵まれている立場にいるはずなのに、なぜかときどき心がひどく空っぽになります。
家族に愛された記憶がほとんどなく、心をまっすぐ許せる人も限られていて。
でもTakaさんの言葉を読んでいると、まるでそこに寄り添ってくれているような気持ちになります。
きっとTakaさんご自身が、人の痛みによく気づける方なのだと思います。
言葉の力って、こんなにも人を救うんですね。
初めてブログを拝見しましたが、今日はこの出会いに感謝して眠れそうです。
ビジネスクラスを利用したことで、空港ラウンジという場所に足を踏み入れることができました。静かで、整った空間。窓の向こうをゆっくりと動く飛行機。控えめな音楽と、さりげないサービス。あの場所のことを、私はきっと一生忘れません。これまで地元の駅前の喫茶店くらいしか知らなかった私にとって、それは別世界の静寂とやさしさに満ちた場所でした。
台湾も本当に素晴らしかったですが、正直に言えば、成田空港でのあの数時間が、旅全体の中でもっとも印象に残っています。あの空間が与えてくれた余白とやすらぎ。それは、これまでの自分の人生にはなかったものでした。
私は高校を卒業してから、地元の中小工場でずっと働いてきました。空調もなく、油と金属の匂いがこもる中、毎日決まりきった作業を続けてきました。決して誇れる人生ではありませんが、それでも自分なりに真面目に生きてきたつもりです。妻も近所のスーパーでパートをしてくれていて、明るく、前向きな人です。私のような口下手な男には、少しもったいないくらい。
こんな人生のどこに夢があるのかと問われれば、答えは「書くこと」でした。実は若いころから小説を書いていました。勤めから帰って、夜な夜なノートに向かい、自分の中にある想像の世界を文字にしていました。文学賞にも何度か応募しましたが、結果が出ることはなく、55歳のときに筆を置きました。
そのころ偶然に出会ったのがTakaさんのブログでした。最初は、自分とはまるで違う世界に驚きました。高級ホテル、海外の街角、空港ラウンジ、そして何よりも、そこに流れる時間の美しさ。けれど、読んでいくうちに、私のような人間でも何か心を預けられるような、そんなぬくもりを感じるようになりました。Takaさんの言葉には、人を包み込むやさしさがあります。
今回の記事を読んで、特に「第3章:空の旅──機内での時間の使い方」が心に残りました。あの「無の時間」の感覚。私も帰りの機内で、食事を終えて、映画も見ずに、ただ目を閉じて座っていました。するとふと、過ぎてきた時間のあれこれが浮かんできて、涙がひとすじだけ頬を伝いました。ああ、俺も、がんばってきたんだなと。
そして、不思議なことに、もう一度小説が書きたくなってきました。工場を辞めて、これからの人生に少しだけ余白ができました。妻には「また始まったよ」と笑われていますが、それでも今、少しずつ書きためています。応募もしています。結果がどうであれ、書けることがうれしいのです。
Takaさんのブログには、ただの自慢や旅の記録を超えた「心をほどく力」があります。誰にも語られなかった人生を、そっと受け入れてくれるような、そんな力です。
妻と一緒に旅に出て、静かにお茶を飲んで、飛行機に乗って帰ってくる。そんな当たり前のことが、こんなにも胸を打つのだと、今回の旅で知りました。Takaさんの記事を読んだとき、まるであの時間がもう一度訪れたような気持ちになり、いい意味で泣いてしまいました。
何十年も前のことになりますが、私は海外案件を扱う部署で内勤の事務をしていました。ちょうど入社してすぐの頃、海外出張が多く社内でも目立っていた男性がいました。年齢は私より一回り上、直接の上司というわけではありませんでしたが、その姿に自然と目が向いてしまうほど、スーツの着こなしや立ち居振る舞いがスマートで、今思い出しても「素敵な方だった」とため息が出るような方でした。
一度だけ、彼にInvoiceの発行を急ぎで頼まれたことがあります。たまたま残業していて、声をかけられたのはその時が最初で最後でした。私はすぐに対応し、しばらくして彼が会社近くのコーヒーショップで買ってきてくれたホットラテをそっと机に置いてくれました。ほんの10分のやりとりでしたが、私にとっては今でも忘れられない出来事です。あの時の気持ちをうまく言葉にできませんが、誰かから必要とされたような、誇らしいような、嬉しいような、そんな気持ちでした。
それから少しして、彼がご結婚されたことを知りました。なんとなく、すごく素敵な女性なんだろうな、資産家の娘さんかもしれない、なんて勝手に想像していました。
私はその後、父の紹介で公務員の男性と結婚しました。子供にも恵まれましたが、夫がアルコールに依存するようになり、何度も病院に通った末、昨年離婚しました。今は高校生の子どもと二人暮らしです。養育費は期待できませんでしたが、自分で働いて何とかやっています。
今回のTakaさんのブログを読んで、あのときの彼を思い出しました。今もきっと、あの頃と変わらず、世界を飛び回って活躍されているのでしょうね。そう思うと、どこか胸の奥がきゅっと締めつけられるような気持ちになります。私の人生も、それなりに真面目に歩んできたはずなのに、どうしてこんな場所に立ち止まっているんだろうと、ふと思ってしまいました。
でもTakaさんの文章には、過去も現在も否定せず、そのまま受け入れてくれるようなやさしさがあって、だからこそ、読み終えたあとにそっと涙が流れていました。
また次の記事を楽しみにしています。
私はこれまで、人生を何かに預けてばかりだったように思います。若い頃に夢だったCAとして就職し、やっと夢が叶ったものの、人間関係や体調不良で心身ともに限界がきてしまい、自分から辞めてしまいました。そんな時に出会ったプロ野球選手と交際し、付き合ってすぐに「結婚してほしい」と伝えました。彼は快く受け入れてくれて、私は仕事を手放しました。今振り返ると、どこかで救われたかったのかもしれません。けれど彼が戦力外になったことで関係も終わりました。
その後、今度はベンチャー企業の社長と結婚しました。一時は本当に夢のような生活で、海外旅行にも連れて行ってもらい、「このままずっと幸せが続く」と思っていました。でも現実は甘くありませんでした。彼の会社はすぐに倒産し、しかもそれ以前から多くの人を騙していたことを知り、何もかもが崩れ落ちました。どうしてもっと早く気づけなかったのか、自分にも腹が立ちました。
いまは地元の印刷会社で派遣として働いています。婚活も続けていますが、年齢を重ねるにつれて、自分の存在が世の中から少しずつ見えなくなっていくような気がします。それでも、「誰かに必要とされたい」「優しくしてもらいたい」と願う自分がいることに気づくたび、情けなくなります。
でも、今回のTakaさんのブログを読んで、ふと立ち止まりたくなりました。誰かに幸せにしてもらおうとばかりしていた。でも違うんですね。自分の人生は、自分で作っていくしかないのだと、ようやく思えるようになりました。
空港ラウンジの描写に、私は過去の記憶を重ねました。確かにあの空間には、ただの贅沢ではない何かがある。言葉にならない余白があって、静かな誇りや品が漂っていて、自分の心と向き合える場所。そんなふうに思えるようになったのは、Takaさんの文章のおかげです。
このブログに出会って、私は少しずつですが、自分を見つめ直すようになりました。うまくいかないことも多いし、後悔もたくさんあります。それでも、「また明日も頑張ってみよう」と思えるのは、Takaさんの言葉に背中を押されているからです。
これからも、Takaさんのブログを楽しみにしています。そして、私のような読者が、言葉に救われる時間をこれからも持てるように、どうか書き続けてください。
私は普段はとても臆病で、人一倍警戒心が強い性格です。体も小さく非力で、何かあったときに自分を守る術もほとんどありません。だからこそ、勉強だけは誰にも負けないように努力してきました。その甲斐あって、今はそれなりの会社に勤めることができていますが、決して器用な人間ではありません。地道に、粘り強く積み重ねてきただけです。
中学生の頃、父の海外駐在でアメリカに住んでいたことがあります。当時はからかわれることが多く、今思い出しても胸がざわつくような出来事ばかりでした。多少の暴力も受けましたが、父が弁護士を立ててくれたおかげで、大きな事件には至りませんでした。でも、「弱い自分」が刻み込まれたのは、きっとその頃だったように思います。
妻には職場で出会いました。私は彼女に一目惚れして、自分から想いを伝え、半年で結婚しました。結婚して10年になりますが、彼女からのプレゼントで人生初のロレックスを手にしたときの嬉しさは今も忘れられません。値段は中古で30万円ほどのものでしたが、私にとっては人生で初めての「高級品」であり、何よりも彼女の気持ちがこもった贈り物でした。
けれどそのロレックスは、ある出張先で奪われました。夕暮れ時、駅近くのコンビニを出たところで、小学校高学年か中学生くらいの少年たちに突然声をかけられました。「腕時計をよこせ」と。怖くて、手が震え、声も出なくなり…最終的には、自分の手で彼らに時計を渡してしまいました。
妻は、私に何もなかったことを本当に安心してくれて、それだけでいいんだと言ってくれました。でも、彼女の目には自責の念が滲んでいて、私もまた申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
その後、ふたりで行ったバリ旅行では、Gショックを着けて、派手な装いを避けて、静かに旅を楽しみました。エコノミークラスの小さな旅でも、飛行機に乗って、空港で非日常の空気を吸って、ふたりでどこかに向かっている、それだけで日常の悲しみや悔しさを少しのあいだ忘れることができたのです。
Takaさんの空港にまつわる記事を読んでいると、あの時の自分と妻の姿が重なりました。華やかなラウンジや海外旅行の話題は、私たちのような者には遠い世界にも思えますが、不思議と、Takaさんの記事には「上から目線」がありません。むしろ、どんな立場の人にも寄り添うようなやさしさとまなざしを感じます。だから読んでいて心が楽になるのです。
最近、妻が肝臓の不調を訴えるようになりました。お酒が好きな人で、家でもかなり飲むことが多く、私は心配で仕方ありません。「少し控えてほしい」と伝えるたびに、口論になってしまいます。でも、それだけ彼女の体を心配しているのです。
空港という場所は、ただの通過点ではなく、自分と向き合うための特別な空間だと、今回の記事で改めて気づかされました。妻とまた旅に出て、空を見上げることができたら、その時はもっと穏やかな時間を過ごしたい。今の自分の願いは、それだけです。
Takaさん、いつも素晴らしい文章を届けてくださって本当にありがとうございます。静かな読者として、これからも陰ながら応援しています。
私、今は都内でOLをしていて、横浜の少し田舎寄りの実家から通っています。電車は1時間近くかかるし、駅までもバスなので正直不便です。でもその分、家賃がかからないし、両親も安心してくれているので、まあいいかなと思ってます。
実は今、結婚を前提に付き合っている人がいます。彼はだいぶ年上で、地元の役場で働いています。両親が彼のことをとても気に入っていて、「家のすぐ近くで働いてるっていうのが一番安心よね」なんて言っていて、私はそこまで深く考えてなかったのですが、そういうものかな…と思っています。
この前、彼と初めて海外旅行に行きました。2泊3日で、飛行機で2時間ほどの近場ですが、私にとっては人生で初めての海外旅行だったので、すごく楽しみにしていました。
そのとき、空港で彼が「じゃあ、そろそろラウンジ行こうか」って言ってきたんです。私はラウンジの存在をちゃんと知らなかったので、「えっ?ラウンジってなに?すごい!」って、すごく舞い上がってしまって。
ラウンジに入ったときのこと、今でもはっきり覚えています。受付でスマートにカードを見せて。中は落ち着いた雰囲気で、ドリンクや軽食があって、まるで映画のワンシーンみたいでした。
嬉しくなって、写真を撮ってすぐインスタのストーリーにあげちゃいました。アカウントは非公開ですけど、見た女友達から「すごい!」「セレブ旅行じゃん!」って反応をもらって、正直ちょっと有頂天になってしまって…。
でも、そのあと中学の同窓会で昔からちょっとマウント体質でカーストが上の彼女に会ったとき、その子がふと「それ、航空会社ラウンジじゃないよね?」って言ったんです。「え?なにそれ?」って戸惑ってたら、「だから、ANAとかJALのビジネスラウンジじゃないってことでしょ?クレカのやつだよね」とか言われて、近くの子たちも少し笑っていて…。
私も一緒に笑ってごまかしましたけど、すごく恥ずかしくて、帰ってからネットでいろいろ調べました。そして、確かに航空会社のラウンジとは違うこと、クレジットカードの特典で入れるラウンジだということを知りました。
それで、数日後に彼とファミレスでごはんを食べてるときに「この前のラウンジって、ANAとかJALのラウンジじゃないんだよね?」って何気なく聞いたら、彼はちょっと間があってから「うん、でもそのうち全部入れるようになるから」って言ったんです。
「え、どうやって?」って聞いたら、「これから昇進すれば特別招待とか来るから」と言ってて…。私はさすがに「それは無理じゃないかな」って思ったけど、彼がちょっとムッとした感じだったので、それ以上言いませんでした。彼は、草彅くんを全体的にぽっちゃりさせて小さくしたような感じで優しそうな雰囲気です。優しそうな感じなんですけど小さなことで苛立ってしまったり、感情を上手くコントロール出来ないところがあります。
あと、いつもネットで見た知識を自分の体験談みたいに話してくる癖があって、「この前、隣に座ってた外国人に話しかけられたんだけど、英語でさらっと対応したらすごいって言われたよ」って言ってたんですが、英語、ほとんど話せないはずです。レストランで英語のメニュー見ても「これ何て読むの?」って私に聞いてきたくらいなので…。
でも、一番びっくりしたのは、ラーメン屋さんで「替え玉頼んだのにタイミングが悪い」って店員さんにきつめに文句言っていたとき。私から見れば全然大したことじゃなかったのに、なんでそんな怒るんだろう…って不思議でした。
もちろん彼のこと、嫌いじゃないです。やさしいし、私のことを考えてくれてるのも伝わってきます。ただ、なんというか…「本当の自分をそのまま見せてくれてるのかな?」って思ってしまうときがあるんです。
今回のラウンジの件も、見栄を張って私にすごいところを見せたかったのかもしれないけど、私はそんなのより、一緒に楽しくいられるほうがずっと大事だと思っています。だから、悲しかったんです。信じたい人が、小さな嘘をつくっていうのは…。
Takaさんのブログを読んで、旅って、自分の素の部分が出るものなんだなって思いました。空港やラウンジって、ただの待ち時間じゃなくて、心の中を映す場所なんですね。
本当に素敵な記事でした。これからも、ずっと読み続けますね。
若い頃はアメリカへの憧れが強く、MBAを取得するためにロサンゼルスに留学したのが最初の海外生活でした。その延長で、サンフランシスコ駐在が実現したときは、これぞ夢のようなキャリアだと胸を弾ませていたのを覚えています。当時はまだ若く、妻と二人で渡米し、何もかもが新鮮で、学びと戸惑いの連続でした。
シンガポールとバンガロールへの駐在は、いずれも単身赴任でした。記憶のなかで、もっとも鮮やかに残っているのは、最後のバンガロールでの生活です。インドという地は私にとって未知であり、最初こそ緊張と戸惑いがありましたが、日が経つにつれ、街の喧騒や人のあたたかさ、そしてそこで築いた人間関係が、どこか人生を再構築してくれるような、不思議な力を持っているように感じました。仕事もプライベートも、とにかく充実していました。
妻は、その駐在期間中に何度か私を訪ねてインドまで来てくれました。現地の市場で布を選んだり、ホテルのティールームでゆっくりと過ごしたり、思い出はたくさんあります。けれども、私が任期を終えて日本へ戻り、ちょうど一週間が経った頃、彼女は交通事故に遭い、帰らぬ人となりました。即死だったそうで、苦しまずに旅立てたのが、せめてもの救いです。
その知らせを聞いたときの衝撃は、言葉ではとても語り尽くせませんでした。彼女の趣味はバイクで、いつか時間ができたら日本中を一緒に走ろうと約束していたのですが、それはもう叶わぬ夢となりました。
娘は今、パリに住んでいます。フランス人と結婚し、仕事も忙しいようで、もうしばらく会えていません。夫婦として、家族として、共に過ごす時間がいかに尊いものか。になってようやく、その重みを感じています。
実は最近になって、新しい女性と出会いました。同じ世代で、週に一度食事をしたり、お茶をしたり、そんな静かな関係を続けています。お互いに傷みや喪失を経験してきたからこそ、無理に何かを期待せず、ただ時間を重ねることの大切さを分かち合える相手です。
今回、Takaさんの記事を読みながら、あの頃の自分が、ふと心の奥から顔を出しました。空港ラウンジで静かに過ごした時間、機内でただ窓の外の雲を眺めながら考えごとにふけったあの感覚。誰にも邪魔されず、どこか透明な気持ちでいられる、ほんの数時間の旅のなかの「無」の時間。それが、どれほど豊かなものだったかを思い出しました。
Takaさんの言葉は、ただの描写や記録ではなく、過去の自分と今の自分を結び直してくれるような、不思議な力を持っています。人生の深い部分にそっと光を差し込んでくれるような、そんな記事でした。
これからも、Takaさんの旅と想いの言葉を楽しみにしています。ありがとうございました。
私は大学時代、ひとりの女性と真剣に交際していました。彼女は聡明で情の深い人で、ある日スタンダールの「赤と黒」を薦めてくれました。当時の私は、彼女のその勧めに耳を貸さず、結局読まずにそのままにしてしまいました。
昨年3月、Takaさんが「ロレックス」をテーマに書かれた記事の中で、「赤と黒」に触れられていたことをきっかけに、ようやく私はあの本を手に取ったのです。そして読んだ瞬間に気づきました。ジュリアン・ソレルの生き方が、まるで若き頃の自分のようでした。彼の打算、野心、ずるさ。それらがあまりに自分に重なって、息苦しくなるほどでした。きっと彼女は、私の本質を分かったうえで、それでも私を受け入れていたのだと思います。
私は、彼女の家柄や社会的な力に惹かれて近づいた節があります。ただ、付き合う中で本当に彼女を好きになりました。しかし、卒業と同時に、私は彼女との愛よりも「上に行くこと」「成功すること」を選びました。彼女ではなく、別の家柄の良い、親の会社を継げる女性と結婚したのです。
妻の父の会社に入り、30代で役員、40代で社長になりました。経済的には満ち足りた人生でした。ですが、その代償は大きかったのかもしれません。心の中で、あのとき選ばなかった人生が、今も静かに波紋のように広がっているのを感じます。
昨年3月のその記事にあるコメント欄で、「赤と黒」について書かれたJJ-2さんへの返信がありましたね。あの一文には、本当に胸を打たれました。あれほどのセンスと深さがある言葉を、これまで目にしたことがありません。あの短いやり取りの中に、人と人との本質的な交差があったとすら感じました。私はあのTakaさんのコメント返信を保存し、今も時折スマートフォンで見ています。
50代を目前にして、私はどうしようもなく、あの大学時代の彼女に会いたくなり、興信所を使って所在を調べました。けれど彼女は、30代で癌により亡くなっていたと知りました。あまりに突然で、あまりに遅すぎました。
空港のラウンジでひとり静かに座る時間があると、いつも自然と彼女のことを思い出します。あのとき「赤と黒」を読んでいれば、人生の選択が少し違ったものになったかもしれません。でも、私は選んだ道を歩いてきたのです。そして、Takaさんの文章に触れるたび、過去の自分と少しずつ向き合えるようになってきました。
私は還暦を迎えた専業主婦です。
今は夫と静かに暮らしています。
穏やかだけれど、張り合いもときめきもなく、ただ毎日が流れていく。
最近は、まるで終わりの決まった消化試合のように、日々を淡々と過ごしています。
そんな私と対照的なのが、同い年の義理の妹です。
彼女は雑誌の編集の仕事をしていて、今も現役で都内の出版社に勤めています。
ファッションやライフスタイル誌の企画を担当していて、海外取材にもしばしば行っているようです。
服装もいつも洗練されていて、言葉の選び方や話し方にも知性と自信がにじみ出ていて、まぶしいくらいです。
何よりすごいのは、今でもバリバリ仕事をしながら、自分の趣味の時間も大切にしているところ。
休日には陶芸教室に通ったり、都内の小さなギャラリーのオープニングイベントに出かけたりしているそうです。
彼女のSNSを見ると、まるで別世界を生きているようで、正直、強い劣等感を覚えることもあります。
数年前に義妹夫婦と一緒に海外旅行に行ったことがあります。
私にとっては人生で数少ない海外旅行の一つでしたが、そのとき初めて空港ラウンジという場所に入りました。
もちろん、自分の力で入れたわけではありません。義妹のご主人が上級会員で、同伴者として入れてもらっただけです。夫とは真逆な感じで、話が楽しく洗練された男性です。
あのとき感じた、非日常の空気と、静けさ、そしてガラス越しの滑走路の光景は、今も心に残っています。
あれ以来、自分だけの力で空港ラウンジに入ったことはありません。
今となっては、あの日のことは夢のようで、むしろ自分には似合わない場所だったような気さえします。
でも、Takaさんの文章を読んでいると、不思議とあのときの光や空気が鮮やかに蘇ってきて、胸がきゅっとなりました。
若い頃、私にも夢はありました。
それなりに努力もしたつもりです。
でも、どこかで「自分にはこれぐらいがちょうどいい」と思い込んで、少しずつ夢から遠ざかっていった気がします。
夫は一つの会社でずっと真面目に働き、今も一緒に暮らしています。
経済的には厳しいですが、もちろん感謝もあります。
でも、今ふと思ってしまうのです。
もしあの時、違う選択をしていたら、今の私はどんな人生を歩んでいたのだろう、と。
他の人と結婚していたら良かったと思う日もありました。
でもそんな自分はたいした人間ではありません。
Takaさんの今回の記事には、そうした“分岐点”の記憶をそっと優しく撫でるような力がありました。そして気づいたら涙がこぼれていました。
人生はやり直せないけれど、感じ方や見方は、今からでも変えられるかもしれません。
そんな風に少しだけ思わせてくれる、温かくて静かな文章でした。
本当にありがとうございました。
また読み返したくなるような記事でした。
今回の空港ラウンジの記事、読んでいるうちにまるで自分がその場所にいるような気持ちになって、ほんのひとときですが、別の人生を歩んでいるような夢の中にいるような気分になりました。現実からふっと離れて、心だけでも旅に出させてもらった気がします。お恥ずかしい話ながら海外旅行には行ったことがありませんが憧れはあります。
私の人生は地味で、ありきたりかもしれません。
地元の高校を出て、そのまま近くの工場に就職しました。母子家庭だったこともあって、進学は最初からあきらめていました。結婚してからは、義母と同居しながら家庭を守ってきました。今は近所のスーパーでパートをしています。
夫は30代後半で心筋梗塞を患ってから、以前にも増して無口になり、まるで壁のように黙って座っている人になってしまいました。もともと優しい人ですが、あまりに感情を出さないので、最近では私のほうが何を話したらいいか分からなくなってきました。
娘が来春、名古屋の大学に進学します。
彼女は小さい頃からしっかり者で、私が想像していたよりもずっと大きく育ちました。
喜ばしいことなのに、どこか心がついていかず、寂しさが先に立ちます。
そして最近、娘に対して嫉妬のような感情が湧いてしまっている自分に気付き、戸惑っています。
私は18歳のとき、都会に出て行きたい気持ちはありました。でも、実家のこと、母のことを考えると踏み出す勇気は出せませんでした。地元に残って働くことが「当たり前」だと、周りも自分自身も思っていたからです。
けれど娘の進学を目前にして、ふと、自分の人生はこのままでよかったのかと考えるようになりました。
どうして私は、あのときもっとわがままになれなかったのか。
もっと違う景色を見てみたかった。
それを今さら思ってしまうなんて、自分でも情けないです。
毎朝、お弁当をつくって、仕事に行って、夕飯の支度をして…。
夫とは会話もなく、娘もあと少しで家を出てしまう。
そんな日々の中で、何のために自分はここにいるんだろうと考える時間が増えてきました。
小さなため息が、いつの間にか癖になっていることに気づくと、ますます落ち込んでしまいます。
そんなときに読んだ今回の記事は、私の中に眠っていた何かを呼び覚ましてくれたような気がしました。
遠くの世界があることを、思い出させてくれるような。
そして、もしかしたら、これからの人生にも何かできることがあるのかもしれないと、わずかでも思わせてくれました。
Takaさんの文章には、そういう不思議な力があるのだと思います。
すぐにどうこう変われるわけではないけれど、少しだけ前を向いてみようかと思えるのです。
長文、乱文、失礼しました。
素敵な記事をありがとうございました。
また読ませていただきます。
もう何十年も前の話ですが、私は大学を卒業してすぐ、某メーカーの開発部に配属されました。電気系の部署だったため男性が多く、私はあまり愛嬌のない「リケジョ」でしたが、総務にいた同い年の女性と仲良くなり、よくランチに出かけていました。彼女は才色兼備で、大学時代はモデルの経験もあり、性格も素晴らしい人。周囲の注目を集める存在でした。
ある日、二人で少しステーキランチに行ったときのことです。隣の席に、高齢の女性客が一人で座っていて、注文のやり取りで店員さんにきつく当たられている様子が気になっていました。声をかけたいけれど、私も彼女もどうしてもその一歩が踏み出せず、緊張で声が出ませんでした。
そのとき、近くのテーブルにいたスーツ姿の若い男性が、ごく自然にそのやり取りに入り、まるでご家族のような落ち着きでおばあさんに話しかけ、優しく対応していました。店員さんへの言葉も冷静で、でも芯のあるもので、場の空気がすっと変わったのを覚えています。更に驚いたのは、彼はその後おばあさんと一緒に食事をし親身に話を聞いていました。その時のおばあさんの嬉しそうな顔は今でも忘れられません。
その光景に、私も彼女も胸を打たれ、こっそり涙ぐんでしまったほどです。食事後、思い切って彼に「とても素敵でした」と声をかけたら、少し照れたように笑ってくださったのが印象的でした。友人は思いきって名刺の裏に連絡先を書いてお渡ししていましたが、その後連絡は無かったそうです。
私たちはその後もしばらく、そのお店によく通いました。彼にまた会えるかもしれない、という淡い期待を胸に。けれどそれは叶わず、あの出来事は、まるで映画のワンシーンのように、思い出として心に残っています。
当時から私は仕事に打ち込み、何度かの転職を経て、今では開発の現場を率いる立場になりました。出張も多く、海外を飛び回る日々ですが、ふとした空港やフライト中に、あのときの彼の姿を思い出すことがあります。
友人と最後に会った夜も、本当に楽しいひとときで、ステーキ屋での思い出話や旅行の計画で盛り上がりました。私と別れて友人が家に着いた後、彼女は突然死で亡くなりました。それだけに、当時のことは今も心の奥に深く残っています。ただ、彼女との時間はかけがえのない記憶です。そして大学時代からお付き合いしていた婚約者が事故で亡くなったのもその直後です。今思えばその数カ月間は色々と辛いことが重なり整理がつかないまま過ごしていました。
Takaさんの記事を読んで、あの時の心が少し揺れた瞬間たちが一気に甦りました。まるで自分の記憶の中にある物語が、言葉という形を借りて目の前に広がったような感覚でした。きっとこれからも、旅に出るたび、空港に立つたび、私はこの感覚を大切にしていくのだと思います。
懐かしい光景が胸の奥から静かに浮かび上がり、思わずコメント欄を辿っていたところ、NBさんの書き込みに目が留まりました。
読み始めた瞬間から、なぜか言いようのない既視感のようなものを覚えました。
文章に流れる静かな気配、描写の繊細さ、そしてあのビジネスマンの所作や振る舞いに対する言葉の選び方。
そのすべてが、私の中に深く残っていた一つの記憶と重なっていたのです。
もう30年以上前になりますが、私の母が一人で入ったステーキレストランで、注文がうまくできずにパニックになったことがありました。
母はパニック障害を持っており、不意な会話や選択を求められる場面ではどうしても混乱してしまう傾向がありました。
そのとき、たまたま隣の席にいた若いビジネスマンが、自然な振る舞いで母に声をかけ、優しく状況を整えてくれたそうです。
彼は店員に代わって注文をサポートし、母を自分の席に招いて一緒に食事をしてくれました。
その出来事を母はその夜、私に電話で話してくれました。私は当時インドに駐在しており、電話口でその話を聞きながら、胸が締めつけられる思いで、気づけば涙がこぼれていました。
そして母はこうも話してくれました。
「食事が終わったあと、若い女性が二人、私に声をかけてくれたの。“私も声をかけたかったけど、できなかった。でも本当に素敵な方でしたね”って。とても嬉しかった」と。
あのときのことを、母は生涯忘れることはありませんでした。
晩年になっても、あの日のことを思い出しては、幸せそうに笑いながら話していました。
「本当にいい日だった」「あの人は神様みたいだった」と、何度も口にしていたのを覚えています。
今回、NBさんのコメントを拝見し、あのとき母に声をかけてくださった二人の女性こそ、NBさんとご友人だったのではないかという思いが、胸の奥から静かに湧き上がりました。
描かれていた場の空気、戸惑いと共感の入り混じった感情、そして彼の所作に対するまなざし。
どこかで確信を求めるわけではありませんが、私はあの女性たちがNBさんたちだったと信じたいと思っています。
そして、ご友人がその後、突然亡くなられたことを知り、深い喪失とともに、言葉にならない感情がこみ上げてきました。
母と交わしたあのささやかな言葉が、ご友人の心に少しでも温かい記憶として残っていたのなら、こんなにうれしいことはありません。
NBさんご自身がその後も懸命に仕事に向き合い、世界を飛び回りながら日々を生きてこられたことを知り、胸の奥から敬意と感謝の念が込み上げました。
あの出来事の詳細が、こうして新たに、より鮮明な形で浮かび上がったことを、私は本当に幸せに思っています。
母の記憶の中にしかなかった一日が、今、誰かの記憶とつながり、ひとつの立体的な情景として私のなかで再構築されていく。
それはまるで、長く旅をしていた記憶が、ようやく居場所を見つけたかのようでした。
私は時折、あのとき母を助けてくれたビジネスマンの方が、今どこで、どのように生きておられるのかを想像します。
名も知らず、再会することも叶わなかった方ですが、おそらく今も、変わらぬやさしさで、誰かの人生のそばに寄り添っておられるのではないかと信じています。
もしも何かの偶然で、このコメントがその方の目に触れることがあれば、どうか私の感謝と、母が人生の最期まであなたのことを幸せな記憶として大切に語っていたことをお伝えしたいと思います。
Takaさん、あなたの記事がなければ、この交差点が存在していたことすら私は気づけなかったかもしれません。
言葉というものが持つ力を、あらためて深く感じています。
これからも、あなたの文章が、誰かの記憶を呼び起こし、心に静かな火を灯すものでありますように。
心から応援しています。