ロレックスGMTマスターII“コーク”復活の可能性を語ろう
目次
はじめに:時計好きにとっての“春の祭典”
第1章:GMTマスターIIへの偏愛告白
第2章:ロレックスGMTマスターII“赤黒ベゼル(コーク)”の幻影
第3章:なぜ赤黒セラクロムは実現しなかったのか?
第4章:でも、なぜ2025年は可能性があるのか?
第5章:GMTマスターIIが語る“人生の時間哲学”
おわりに:ロレックスは自分に贈る“人生の節目”の証
はじめに:時計好きにとっての“春の祭典”
2025年の春、スイス・ジュネーブで世界最大級の時計の祭典「Watches and Wonders Geneva 2025」が開催されます。期間は4月1日から8日まで。この時期になると、僕はまるで遠足を待つ子どものようにそわそわしてしまいます。
このイベントでは、ロレックスをはじめ、パテック・フィリップ、カルティエ、ジャガー・ルクルト、ヴァシュロン・コンスタンタンなど、世界中の名だたる時計ブランドが新作を発表します。ブランドのファンはもちろん、業界関係者やジャーナリストにとっても一年で最も注目すべきイベントなんです。
ただ、近年のスイスは物価がとても高くなっていて、ジュネーブのカフェでコーヒー1杯が日本円で800円。25年前なら200円ちょっとでしたのでかなり割高な感じがします。
でも、それでも行きたい場所がある。時計ファンにとっては、ジュネーブの空気そのものが特別な香りを持っているんですよね。
会場では新作時計を手に取って見られるだけでなく、各ブランドの世界観を感じられるブースや展示もとても魅力的です。
第1章:GMTマスターIIへの偏愛告白
僕が一番好きなGMTウォッチ、それはロレックスのGMTマスターIIです。GMT(2カ国間表示)やデュアルタイム表示は、現代のグローバルなライフスタイルに欠かせない機能として、多くのブランドが独自のアプローチで展開しています。GMT機能付きの時計って本当にたくさんあります。ジャガールクルトのマスター・コントロール・ジオグラフィークやパテック フィリップのアクアノート・トラベルタイムなど、どれも個性的で魅力的。でも、使い勝手と信頼性、そしてデザインのトータルバランスで言えば、やっぱりGMTマスターIIが一番だと思っています。
GMTマスターIIの特徴は、独立して動かせる24時間針。これによって、本格的に2つの時間帯をしっかり管理できます。しかも、ベゼルを使えば第3の時間帯も読み取れるという“通好み”の使い方も可能です。
実際、僕は海外出張が多くて、いろんなGMTウォッチを試してきました。でも、見やすさ、操作性、防水性、そしてなによりも頑丈さ。これらすべてを高次元で満たしてくれるのがGMTマスターIIだったんです。
長いフライトのあと、異国の空港に降り立って、ふと時計を見る。そのとき、自分がいる時間と、いつも心になる場所の時間が一目でわかる。その小さな感動が、いつも僕の旅の心をあたたかくしてくれます。
第2章:ロレックスGMTマスターII“赤黒ベゼル(コーク)”の幻影
そんなGMTマスターIIの中でも、とくにファンからの人気が高いのが「赤黒ベゼル」、通称コークです。赤と黒のコントラストが美しく、力強さとエレガンスが同居したデザイン。僕もこのモデルにずっと惹かれてきました。
実は昨年、僕は自身のブログ記事(こちら)で、「2024年の新作としてコークが復活するのでは?」と予測しました。残念ながらそのときは実現しなかったけれど、いまでもこのモデルの復活を信じて待っています。
なぜ多くの人がコークに魅了されるのでしょうか? それはこのカラーが、かつて存在した名作Ref.16710を彷彿とさせるから。
あの時計を知っている人なら、あの赤黒の組み合わせを一目見ただけで、胸が高鳴るはずです。
第3章:なぜ赤黒セラクロムは実現しなかったのか?
ここで一つ、疑問が湧いてきます。なぜ今まで赤黒ベゼル(コーク)はセラクロム(ロレックスが開発した高耐久セラミック素材)で再現されなかったのでしょうか?
その最大の理由が、「赤」が非常に難しい色だからなんです。
セラクロムは高温(1000℃以上)で焼き上げる工程があるのですが、赤い顔料は熱に弱く、焼くと黒ずんでしまう性質を持っています。そのため、赤色を鮮やかに、かつ均一に出すのが非常に難しい。さらに、ロットによって色ムラが出やすいという問題もあります。
さらに難しいのが、赤と黒という「明度差が大きい色の組み合わせ」。例えば赤青の“ペプシ”なら色のトーンが近いため自然なグラデーションに見えますが、赤黒では色の境目が不自然に見えやすく、「黒が赤を吸収して沈んで見える」という現象まで起こります。
そして、ロレックスが特に大切にしているのが“美学”。
たとえ技術的に可能であっても、「ロレックス基準で美しくなければ出さない」という哲学があります。中途半端な仕上がりでブランド価値を損なうくらいなら、「幻のモデル」として語り継がれる道を選ぶ──それがロレックスというブランドなんです。
第4章:でも、なぜ2025年は可能性があるのか?
そんな幻のコークベゼルですが、僕は2025年こそ、ついに復活の年になると予測しています。
その理由のひとつが、ペプシ(赤青)ベゼルの実現という前例。ペプシベゼルがセラクロムで復活したのは2014年。それ以前は「赤ができないから無理」と言われていたんです。でも、ロレックスはついに赤青の発色に成功しました。つまり、「赤黒」も、いつかは必ず技術的にクリアできるはず。
さらに、内部では赤黒セラクロムの研究が密かに進められているという噂もあります。ロレックスはとにかく秘密主義なので、表に出る情報はわずか。でも過去の事例から見ても、発表の直前まで情報が出ないのがロレックス流です。
そして今、時計業界ではGMTウォッチの人気が再燃しています。タイミング的にも、ロレックスがコークを復活させるには絶好の時期です。
技術の進化とブランド戦略、市場の期待が重なった“今”。2025年のジュネーブでコークが登場したら──きっと、それは歴史的瞬間になります。
第5章:GMTマスターIIが語る“人生の時間哲学”
GMT機能が好きなのは、単なる実用性の話だけではないんです。
僕はこの機能に、人生そのものが象徴されているような気がしてなりません。
GMTマスターIIは、2つの時間帯を同時に表示できます。“自分が生きている時間”と、“誰かが生きている時間”。
例えば、パリにいる家族の時間と、自分がいるニューヨークの時間。違う場所で、違う時間を生きているけれど、気持ちはいつもつながっている──そんな思いを、この時計はそっと包み込んでくれるんです。
世界をまたぐ人生には、時差があります。そしてそれは、ときに孤独を感じさせるもの。でも、だからこそ「自分の時間を大切にすること」の意味を、GMTマスターIIは教えてくれます。
「人生とは、自分の時間を生きながらも、誰かの時間に想いを馳せること。」
これは、僕がこの時計に感じている哲学です。
GMTマスターIIを見つめながら、今日もまた、新しい“時間”を生きていこうと思います。
おわりに:ロレックスは自分に贈る“人生の節目”の証
ロレックスにはよく、「贈り物として選ばれる時計」というイメージがあります。
確かに、人生の大切な瞬間──就職、結婚、昇進、記念日──を祝うために贈られることも多いですね。
でも、僕はこの言葉の方がずっとしっくりきます。
「ロレックスは、自分で自分に贈る時計である」
あるとき、ロレックスのマーケティング担当者がそう語ったと聞きました。
その言葉には、「人生の節目を迎えた自分へのご褒美」という静かな哲学が込められているように思います。
時計を買うという行為は、ただの買い物ではありません。
それは、自分の過去に向き合い、いまの自分を肯定し、そしてこれからの時間を信じて歩いていくという“決意”なのかもしれません。
振り返れば、誰にでもあります。
うまくいかなかったこと、選べなかった道、失った人、戻れない時間。
それでも、生きていく中で少しずつ積み重ねてきた日々が、いつのまにか僕たちをここまで運んでくれました。
「もっとこうしていればよかった」と思うことは、誰にでもあると思います。
でも、“それでもここまで来た”という事実を、どうか否定しないでほしい。
完璧じゃなくても、不器用でも、真剣に生きてきたこと自体が、きっと何かの価値になっているはずです。
そして、そんな過去と向き合ったうえで「これからどう生きるか」を考えるとき、時計という存在が、不思議と心に寄り添ってくれるんです。
ロレックスという時計は、ただ時間を測るためのものではなく、人生のなかで“もう一歩踏み出そう”とするその瞬間に、そっと背中を押してくれる存在だと僕は思っています。
それが、ロレックスが特別である理由。
もちろん、特別な時計はロレックスだけではありません。
パテック フィリップのように、世代を超えて受け継がれる静かな品格もあれば、オメガのように信念を持って革新を続ける時計にも、確かな“物語”があります。
グランドセイコーのように、緻密さと美意識を極めた日本の誇りに心を奪われる人もいるでしょう。
どのブランドであれ、その時計が“自分にとって意味があるもの”なら、それはもう、かけがえのない一本です。
大切なのは、「どの時計を選んだか」よりも、「なぜそれを選んだか」。
その理由こそが、きっと、あなたの人生の時間に寄り添う力になるはずです。
もしGMTマスターIIの“コーク”が2025年に蘇ったなら、
それは過去の憧れに再会するような、そして“いまの自分”で手にする新しい夢かもしれません。
あの頃の自分には届かなかったかもしれない。
でも、いまなら届く。そう思えることが、どれほど心を強くしてくれるか──僕自身、何度も感じてきました。
人生は、簡単じゃない。
でも、それでも、これからの時間は自分の手でつくっていける。
それは、きっとただの時計ではなく、
「よくここまで来たね」と、自分を認めるための小さな証になるはずです。
僕もまだ、旅の途中です。
でも、少し先を歩く者として、こう言わせてください。
大丈夫。あなたの人生には、まだこれからの“時間”が、たくさん残されています。
その時間をどうか、自分のために使ってください。
そしていつか、あなたが自分のためにロレックスを選ぶ日が来たなら、
それは、きっとかけがえのない「自分との約束」になると思います。
この記事へのコメント
この国の朝焼けはどこか乾いた香りがして、時折ふと、かつて自分が夢中になった物や時間の記憶を引き寄せてくるような気がします。そんな静かな早朝、Takaさんの今回のブログを拝読し、心に灯がともるような感覚を覚えました。気がつけば、こうしてコメントを書いています。
私にとってもGMTマスターII“コーク”は、いつか手にしたいと願い続けている一本です。
現在はペプシを愛用しています。これは数年前、私が昇進した際、妻が贈ってくれたものでした。彼女は忙しい日々を送る女医で、勤務も不規則なため、一緒に過ごせる時間は限られています。それでも、二人の共通の趣味である読書を通じて、ささやかながら豊かな時間を分かち合っています。
週末にカフェで本を開き、ことばを交わさずとも隣にいる。そんな静謐な時間こそが、私たちにとっての「贅沢」であり、「約束」のようなものでした。
Takaさんが記事中で紹介されていた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、まさに私と妻の最近のお気に入りでもあります。あの本を通して、読書という行為が人生においてどれほど貴重な“余白”なのか、あらためて思い知らされました。
そんな本と、ロレックスという時計。どちらも“時”をめぐる道具でありながら、私たちの生き方そのものに問いを投げかけてくる存在なのだと、今回のブログを読んで強く感じました。
もし“コーク”が2025年に復活したら、私はきっと迷うことなく迎え入れると思います。ペプシも素晴らしい相棒ですが、コークにはまた違った情感があります。赤と黒、その色合いには、若かりし日の情熱と、いまの自分の静かな決意の両方が重ねられるような気がするのです。
Takaさんの「ロレックスは自分で自分に贈る時計である」という言葉にも、深く共感しました。私たちは人生のなかでさまざまな岐路に立ち、時に迷い、時に何かを手放します。それでもなお、自分なりの歩幅で前に進んできたという、その軌跡をそっと肯定してくれる何かが欲しい。ロレックスには、そんな静かな力があると私も思っています。
これからも、Takaさんの文章を楽しみにしています。時計を通して人生を語るその眼差しに、いつも勇気をいただいています。
遠くメキシコの地より、感謝を込めて。
私は現在、企業買収や資本提携に関する業務に携わっており、最近は日をまたぐような時間まで資料の読み込みや交渉準備に没頭する日々を過ごしています。激務ではありますが、関わる一つひとつの案件に深い意義を感じており、精神的には非常に充実しています。
特に今は、日系企業によるインド進出に関する合弁スキームの設計やデューデリジェンス支援などを中心に取り組んでおり、自然とインドに関する情報にも敏感になっていました。そんな折、偶然検索でTaka様のインド旅行に関する記事に辿り着き、そこから時計にまつわる一連のブログを拝読しはじめた、いわば新参の読者でございます。
実は私自身、記事内で紹介されていたGMTマスターII Ref.16710を所有しております。とはいえ、普段遣いするには些か気後れしてしまい、実際には定期的に巻き上げるだけの“静かな共存”が続いています。この時計は、昨年亡くなった父がかつて愛用していたもので、形見として譲り受けました。機械式時計にそれほど関心がなかった私が、この時計に特別な思い入れを抱くようになったのは、父の死後、母から聞かされたあるエピソードがきっかけです。
父は中小ながら自ら創業した会社を長く経営しており、このGMTマスターIIは、会社設立からちょうど10年、連続黒字を10期達成した年に、自身への「一区切りのご褒美」として購入したものであったそうです。当時の父の年齢は、今の私とほぼ同じ。節目を意識し、これまでの歩みを静かに讃えるような形でこの一本を選んだのだと思うと、ただの高級腕時計ではなく、父の人生哲学や美意識の一端に触れられたような気がしてなりません。
Taka様が記事で綴られていた「ロレックスは、自分で自分に贈る時計である」という言葉は、まさにその本質を突いていると感じました。華美に見えるそれぞれのモデルの奥には、持ち主の人生における決断や誇り、感謝、祈りといった静かな感情が折り重なっている。そう考えると、時計は単なる時を刻む道具ではなく、時間という不可視の資産をどう生きてきたか、そしてこれからどう生きるかを見つめ直すための“装置”のようにも思えてきます。
今はまだ、このRef.16710を日常に取り入れる勇気はありません。ただ、仕事で大きな節目を迎えるようなタイミングが訪れたとき、あるいは自分自身の中で何かを乗り越えたとき、その瞬間にはじめて、腕に巻いて外に出られる日が来るのかもしれません。
これからも、Taka様の文章を通して、時計というプロダクトに宿る哲学や、時間との向き合い方について、学ばせていただければ幸いです。
今後の更新も心より楽しみにしております。
敬意を込めて。
深夜、誰にも会話を求められない静かな時間に、あなたの文章が胸の奥深くに沈んでいくようでした。
その余韻のなかで、今こうして、はじめてコメントを書いています。
私は今、40歳です。
かつては、何不自由ない暮らしの中にいました。
大学入学のとき、両親に頼んでロレックスのデイトナを買ってもらいました。
特に抵抗もなく、母は「それくらい、頑張ったご褒美ね」と笑ってくれたのを覚えています。
私にとって、“高級なもの”はあまりにも自然に身の回りにあるもので、欲しいと口にすれば、ほとんどが手に入る環境でした。
そのせいか、自分がどれほど恵まれているかにも気づかずに、若い日々を過ごしていました。
社会人になってからも、親からの仕送りのようなものが続き、給与以上の小遣いを毎月受け取っていました。
自分では一人前になったつもりで、服装や恋愛、趣味もすべて“自分のセンス”だと信じて疑いませんでした。
けれど、そんな生活はある日、音を立てて崩れました。
父の経営する会社の脱税と粉飾決算が発覚し、会社は倒産。
家族は散り散りになり、両親は離婚しました。
父はその後、自ら命を絶ちました。
母は数年後に病気で亡くなりました。
兄弟もおらず、私は一人になりました。
今は、転職を繰り返しながら、日々をしのいでいます。
40歳になっても定職に落ち着かず、貯金もなく、長く付き合っていた一回り下の恋人にも見放されました。
若い頃、あれほど簡単に寄ってきた華やかな女性たちは、もはや私を振り返ることもありません。
ですが、そんな私にも一つだけ、ずっと手放さずにいるものがあります。
それが、あのデイトナです。
あの時計は、母が「これは売らずに持っておきなさい。お父さんとあなたの節目の記憶だから」と言ってくれた唯一の形見でもあります。
正直、何度も売ろうと思いました。
金に困った時も、何度も手放す言い訳を心の中で探しました。
けれど、なぜかそれができませんでした。
今日のあなたの記事を読みながら、あの時計をそっと箱から出して、初めて“目を合わせるような気持ち”になりました。
それは、まさに私の両親がかつて私にしてくれた、最後の「贈り物」だったのだと、今になってやっと気づいたのです。
私は学生時代、小説を書いていました。
勉強はあまり得意ではありませんでしたが、ことばに命を吹き込むことが楽しく、小さな文学賞をいただいたこともあります。
本気で物書きを目指した時期もありましたが、30歳を過ぎた頃、自分にはそこまでの力量がないと悟りました。
それからは、書くことをやめ、読みさえもしない日々が続いていました。
でも今夜、Takaさんの言葉に背中を押されるように、久しぶりに「書いてみたい」と思いました。
もちろん、すぐに作家になれるわけでも、生活が楽になるわけでもない。
でも、なにかが確かに目を覚ました感覚があるのです。
今の私は、仕事も苦痛、将来も見えず、孤独そのものです。
だからこそ、あなたの文章の一節一節が、これほどまでに心に沁みたのだと思います。
このコメントを書き終えたら、酒をやめます。
体も壊しかけていますが、今日から断酒します。
運動をはじめ、貯金もしようと思います。
何より、今の仕事にももう一度正面から向き合ってみようと思いました。
営業中にこっそりスマホでこんなコメントを書いていること自体、まだ私は現実から逃げようとしています。
でも、今夜、あなたの文章に触れて、生まれ変われる気がしました。
何も持たない自分が、まだ生きていていいと感じられたこと。
それこそが、何よりの贈り物でした。
本当にありがとうございます。
いつか、あのデイトナを胸を張ってつけて街を歩ける日が来るように、生き直してみます。
そしてまた、書きます。ことばを、人生のかけらにするために。
記事中で触れられていた「ロレックスは、自分で自分に贈る時計である」という言葉には、思わず深く頷いてしまいました。
私もまた、人生の折々に、自分自身への静かな節目として腕時計を選んできたひとりです。
特に思い入れがあるのは、45歳のときに購入したヴァシュロン・コンスタンタンのオーヴァーシーズです。
大学卒業以来、ずっと某総合商社に勤めてきましたが、当時、自分が出世レースからは降りることになるだろうと悟ったのが、まさにその年でした。
総合商社の世界では、最後まで上を目指せる人間というのはごくわずか。
多くの社員は、出向や転籍を経て「第二のキャリア」を歩むことになります。
ある種の割り切りが必要であり、それをどう受け止めるかで、その後の人生の質が変わってくるとも感じています。
そんな心境の中で手にしたオーヴァーシーズは、単なる嗜好品ではなく、「これからの時間をどう生きるか」という問いへのひとつの答えでした。
購入から2年が経ちましたが、休日に身につける時計は今でもほとんどこれ一本です。
多くの時計を所有したいという欲はそれほどなく、必要な場面に適したものを丁寧に使い込むほうが、私には性に合っているようです。
もう一本所有しているのは、グランドセイコーの手巻き。
レザーベルトのその時計は、スーツでの仕事の場にしっくりと馴染み、こちらも私にとって大切な一本です。
ロレックスももちろん大好きです。
ただ、どこか自分の生活スタイルとは波長が合わないように感じ、これまで購入には至っていません。
それでも、新作が発表されるたびに自然と目がいってしまうのは、やはりロレックスが時計という工芸のなかで、圧倒的な完成度を持ったブランドであるからだと感じています。
多くの人を惹きつけるのには、確かな理由がある。そのことを、年齢を重ねるごとにより強く理解できるようになりました。
私は中国での駐在経験があります。
妻も一緒に現地へ赴き、語学学校に通ったり、土地の文化を楽しんだりと、駐在生活を前向きに受け入れてくれました。
子供はいませんが、今でも二人の間には穏やかな笑いがあり、ありがたいことに良好な関係を続けています。
妻はもともと大手の監査法人で活躍していた聡明な女性で、私にはもったいないと思うこともしばしばですが、本人に言わせれば「私のほうこそ、あなたに感謝している」とのこと。
お惚気のようになってしまいましたが、振り返れば、仕事も家庭も、自分なりには充実した時間を歩ませてもらってきたと思っています。
Takaさんのブログは、そんな私のような読者にとっても、共感と発見の宝庫です。
今回もまた、時計というモノを通じて、人生そのものと向き合う視点を与えていただきました。
それは、単なる時計好きの文章ではなく、生き方に関するひとつの静かな哲学として、読む者の心に残ります。
きっとTakaさんご自身も、日々をご自身の信念と美意識に従って、丁寧に生きておられるのだと感じます。
だからこそ、あなたの言葉には重みがあり、読者の背筋をそっと正す力があるのだと思います。
これからも更新を楽しみにしています。
私は50代前半、外資系企業で管理職をしています。娘は先月結婚して独立し、私は夫と二人暮らしでした。表面的には何の問題もない家庭に見えたかもしれません。ですが、会話も感情のやりとりもほとんどなく、形だけの夫婦生活が続いていました。
そんな中、友人と飲みに出た先で20代の若い男性と知り合いました。何度か会ううちに関係を持つようになり、半年ほど交際しました。高級レストランや旅行など、少なくない額を使いました。誕生日には彼のリクエストでロレックスのGMTマスターIIをプレゼントしています。夫が時計好きだったこともあり、ロレックスについての知識だけは自然とありました。
ある日、街でその彼が別の若い女性と歩いているのを見かけて、問い詰めたところ既婚者でした。私が既婚であることも伝えていたため、結果として彼の妻が私の夫に連絡し、すべてが表に出ました。離婚が成立するまで時間はかかりませんでした。
今は一人で賃貸に暮らしています。何もする気が起きず、仕事も気が抜けたような状態です。投資で運用していた資金もだいぶ崩してしまいました。今更ながら、なぜあそこまでして彼にお金を使ったのか自分でもわかりません。
つい先週、会社からリストラの話が出ました。理由の説明は建前ばかりで、実際には年齢と立場を整理したいだけでしょう。人事とはそういうものです。
夫を裏切ったことに関しては、これまで悪いと思ったことは正直ありませんでした。家庭が冷え切っていたのは事実です。ただ今は、少しは自分にも非があったのかもしれないと思いはじめています。離婚後に連絡を取ろうとしましたが、「弁護士を通してくれ」と一言。予想通りでした。
こうして書いていると、我ながらなかなか見事な自業自得の人生だと苦笑したくなります。他の読者の方からすれば、不快な話に映るかもしれません。それもわかっています。
それでも、この記事を読んで、少しだけ何かが引っかかりました。涙が出たのは久しぶりでした。別に感動したとかではなく、自分が何も持っていないという事実を、ようやく受け止めはじめたからだと思います。
今さらやり直すとか言う気はありません。ただ、これ以上落ちようがないなら、少しは前に進んでもいいかもしれないとは思っています。
コメントを書くべきか迷いましたが、書いたことで少しだけ冷静になれた気がします。
読んでくださってありがとうございました。
今回の記事もとても面白かったです。特に、記事中で使われている男女のイラスト、いつも本当に素敵ですね。洗練された雰囲気があって、シンプルなのに奥行きがあり、毎回どんなことを想像されて描かれているのだろうと思っています。そしてその人物が何を考えているかなど興味は尽きません。まさにセンスの塊ですね。
私は現在、理系の学部に所属している大学生です。いわゆる“リケジョ”に分類されるのかもしれません。将来はシンクタンクで社会課題の実証的な分析や政策提言に関わる仕事がしたいと考えています。大学では統計解析や数理モデル、Pythonなどを学んでいて、今は卒論のテーマとして「自治体における地域福祉政策の費用対効果分析」を検討しています。
Takaさんのブログは、そうした「社会の現場」に対する私の関心と非常に相性が良くて、知識だけでは得られない感覚的なリアリティを与えてくれる貴重な存在です。データだけでは捉えきれない、人の意思や空気感のようなものが、文章やイラストを通じて自然に伝わってきて、「社会ってこうやって動いてるんだ」と感じるきっかけになっています。
大学入学の頃から読ませていただいているのですが、文章の端々にTakaさん自身の視点や思想が感じられるのも、すごく勉強になります。
実は私には、10歳以上年が離れた兄が二人います。どちらも現在シンクタンクで働いていて、政策立案や官民連携に関わる仕事をしています。子どもの頃から二人の会話をそばで聞いて育ってきたので、自然とその分野に対する興味が育ちました。三人で集まると、なぜか必ず時計の話題になります。兄たちはロレックスが大好きで、モデルの特徴や市場価値、歴史などを楽しそうに語る姿がとても印象的です。
私はまだ時計を持っていませんが、将来、自分なりのタイミングで、ロレックスでも他のブランドでも構わないので、ちゃんとした“意味を込めた一本”を手にしたいと考えています。Takaさんが書かれていた、「どの時計を選んだか」ではなく、「なぜそれを選んだか」が大事だという一文が、すごく心に響きました。あれは単なる言葉ではなく、モノに対する姿勢そのものですよね。ああいう視点を持てる大人になりたいと思いました。
実用性やデザインだけでなく、自分の生き方や価値観が反映されるような選び方を、私もしていきたいです。
Takaさんの文章は、そういった“目に見えない大事なこと”に気づかせてくれるものばかりで、本当に尊敬しています。
これからもブログの更新を楽しみにしています。
日々の学びの中に、いつもさりげなく“人としての軸”を与えてくださるような、そんな存在です。応援しています。
窓の外には静かな街の光が差し込んでいて、その穏やかな時間と、Takaさんの文章が妙にしっくりと重なりました。
私はアパレルブランドを経営しながら、デザインも担当している者です。職業柄、季節の移り変わりやトレンドの変化には常に敏感ですが、こと時計の世界となると、それとはまったく別種の“待つ喜び”があります。
ロレックスの新作発表は、私にとって毎年のささやかな高揚のひとつであり、創造性に新しい刺激を与えてくれる特別な時間です。
Takaさんが書かれていたように、「なぜそれを選んだか」という視点は、私が服づくりの現場で常に考えていることでもあります。
ものづくりに携わる者として、モノに宿る“理由”や“背景”に強く共鳴するのは自然なことかもしれません。
少し個人的なことも書かせてください。
私はこれまでに3度結婚しましたが、結果としてすべて失敗に終わりました。
今は独身で、これからももう結婚することはないだろうと、ある意味では吹っ切れています。
若い頃には想像もしていなかった「孤独」と「自由」が同居する今の暮らしも、悪くありません。
また、昔はワインが好きでした。どれほどの銘柄を飲んだか分かりません。
けれど、いつの間にか依存の傾向が強くなり、今は断酒しています。
Takaさんと同じように、お酒を断ったことで世界の輪郭がはっきりと見えるようになった気がします。
そして、3ヶ月前から筋トレを始めました。
最初は気休めのようなものでしたが、今では本気で向き合っています。
身体が整ってくると、思考や感情まで変わってくるのが不思議です。
正直、こんなに健康的に生きているのは、人生で初めてかもしれません。
Takaさんが書かれていた
「うまくいかなかったこと、選べなかった道、失った人、戻れない時間」
この言葉には、深く深く共感しました。
私も、数えきれないほどの後悔や決断がありました。
けれど、今の自分の立ち位置を見つめてみると、あのすべてが必要だったのだと、思えるようになっています。
Takaさんの文章には、綺麗事ではなく、生きてきた人間にしか書けない“体温”があります。
それが、読む者の心を揺さぶるのだと思います。
心から感謝しています。
今回のブログ、何度も読み返してしまいました。「うまくいかなかったこと、選べなかった道、失った人、戻れない時間。」という言葉が、心の奥底に静かに、けれど確かに届きました。
2年前、還暦を迎えた私に、妻がロレックスのエクスプローラーをプレゼントしてくれました。中古品でしたが、私にとっては夢のような贈り物で、毎日大切に着けていました。ところが先月、時計が突然動かなくなり、ロレックスに修理を依頼したところ、残念ながら偽物であることが判明しました。
妻に話を聞くと、その時計は彼女の妹の夫から20万円で購入したとのこと。明らかに市場価格より安く、私はすぐに何かおかしいと感じました。妹は夜の仕事をしており、その夫はパチンコに夢中で、私としては正直、以前からあまり関わりたくない相手でした。ただ、妻にとっては15歳下のたった一人の妹。いつも何かと気にかけていたようです。
妻は、私に還暦のお祝いとしてロレックスを贈りたいと相談したところ、妹が「ちょうどいいものがある」と持ちかけてきたそうです。私は、妹が偽物だと知っていて妻に渡したと確信しています。そして、妹の夫は間違いなく騙すつもりだったと思っています。
私たち夫婦は50代のとき、投資に失敗して財産の大半を失いました。それ以来、私は公務員として地道に働き続け、妻は専業主婦として節約を重ねてくれています。高価なものなど、これまでの人生でほとんど買ってきませんでした。
けれど、ロレックスだけは特別でした。
高校時代の親友がロレックスを着けているのを初めて見たとき、衝撃を受けました。彼がその時計を手に入れたのは、自分よりずっと年上で裕福な家庭の娘さんと結婚したからでした。正直、外見は可愛らしいとは言いがたい人でしたが、家が資産家で、親友は結婚を機に一気に生活が変わりました。
そのとき、私は内心で「いい時計は、そういう人生を選んだ人の手に入るものなのか」と、少しばかりのやるせなさを感じたのを覚えています。そして、ロレックスは私にとってずっと遠い存在でした。若いころ片想いしていた女性の彼氏が着けていたのもロレックスで、「自分にそれがあれば、彼女も振り向いてくれたのかもしれない」などと、情けない想像をしてしまったこともあります。
だからこそ、妻がその時計を贈ってくれたときの気持ちは、何にも代えがたいものでした。
たとえそれが偽物だったとしても、その思いは本物だったと、今でも心から感謝しています。
その後、妻が妹夫婦に問い詰めたところ、逆ギレされ「絶縁だ」と言われました。私としてはむしろせいせいしていますが、妻は深く傷つき、私の前でも泣いていました。その姿を見て、私も我慢できず、電話で文句を言ってしまいました。予想通り、私に対してもひどい言葉が返ってきました。
そんな騒動の中で、ある出来事がありました。
末期がんで闘病中の高校時代の親友を、私は定期的に見舞っています。
彼とは長い付き合いで、言葉にしなくても通じ合えるような関係でした。私は彼に何度も手を差し伸べてきましたが、それは見返りを期待してのことではなく、ただ、彼が親友だったから。
2週間ほど前のことです。
彼が奥さんの前で私にこう言いました。
「お前には感謝しかない。俺と一緒に生きてくれてありがとう」
その言葉に、私は声が出ませんでした。
そして彼は、自分が大切にしてきたロレックスを私に託してくれました。
「俺が死んだら、お前がこれを着けてくれ。俺の代わりに、最後まで」
それが、Takaさんがブログで紹介していたRef.16710でした。
あまりの偶然に鳥肌が立ちました。
こんな形で自分の手に届くとは思ってもいませんでした。
私は彼から時計が欲しかったわけではありません。ただ、その気持ちが本当に嬉しかった。
何度もつまずき、財産を失い、夢も叶わず、不器用に生きてきた人生でしたが、あの瞬間に「自分の人生にも意味があった」と、そう思えたのです。
そして、妻のことも改めて大切に思いました。
偽物だったとはいえ、妻が私に贈ってくれた気持ちは、誰よりも本物でした。
私には、素晴らしい妻がいます。それが何よりの宝物です。
Takaさん、素晴らしい記事をありがとうございました。
あなたのブログに出会えたこと、そしてこの不思議なタイミングに、深く感謝しています。
自分、もうすぐ50です。今年の初めに結婚しました。相手は20代後半の女性で、初めての結婚です。自分もこれが初めての結婚。
婚活、だいぶ長くやってました。背も低い、顔も良くないし、学も無いし、給料も安いし、正直モテた記憶なんて人生で一度もないです。
ただ、去年の夏に父親が亡くなって、地主だったのでけっこうな遺産が入ったんです。母はだいぶ前に亡くなってて兄弟もいません。
婚活で資産の話もしないと、正直誰も振り向いてくれなかったので、それもプロフィールに書きました。今思えば、それが良くなかったのかもしれません。
結婚して1カ月目くらいだったと思います。正確に言えば籍はまだ入れていなかったので婚約同棲です。
彼女から、プレゼントの“お返し”って言ってロレックスの時計をもらったんです。
自分、時計とか全然興味なかったし、そんな高級品触ることもなかったから、最初はびびったけど、すごく嬉しかったです。
ただ、その時計のコマ調整しようと思ってお店に持っていったら、「これ、盗難品です」って言われて。
ネットニュースにもなった事件のブツだったみたいで、そこでなんか嫌な予感がして、興信所に依頼しました。
結果はひどいもんでした。
彼女、実は反社とつながってて、過去に刑務所にも入ってたことがあるとか。
最初の印象は真面目で、ちょっと控えめで、家庭的な感じだったのに、全部ウソでした。
家にカメラつけてもらったら、いろんな男を連れ込んでるわ、コカイン?使ってるわ、信じられませんでした。
吐きました、ほんとに。リアルに嘔吐しました。
すぐ弁護士に相談して、離婚手続きと同時に警察にも動いてもらいました。
最終的に逮捕されました。
弁護士と一緒に話し合いしたとき、彼女が叫びながら暴れて、こっちに汚い言葉を浴びせてきて…人間じゃなかったです。
結婚してたった3カ月。
騙されたと分かったときには、もうそれなりの額を使われてました。
ロレックスも、結局金でしかなかったんでしょうね。
お返しにもらったと思ってたのに、たぶん何かの伝手で手に入れた盗品。
自分も調子に乗って、彼女にロレックス買ってあげたんですよ。
「盗まれた」って言ってましたけど、売り飛ばしてたって知りました。
自分、本当に情けないです。
50年近く生きてきて、こんな人も見抜けなかった。
女に縁がなかったからこそ、嬉しくて浮かれてたんでしょうね。
この数カ月は地獄みたいでした。
泣いてばっかりで、何も手につかなかったです。
でも、そんなときにTakaさんのブログに出会いました。
時計の話から人生のことまで、どこか自分の心の奥に触れるような文章で、少しずつ元気が出てきました。
ロレックスも、最初はなんとなくで手にしましたが、今は本物が欲しいと思うほど本当に好きです。
雑誌とか買って読んだりしてます。
Takaさんの記事も、そういう気持ちをもっと深くしてくれます。
今はもう婚活する気はありません。
また騙されるのが怖いし、そもそももう疲れました。
女性経験もないまま、50まで来て、やっと出来た相手がこれでしたから。
でも、ここで終わりたくないと思ってます。
また一歩からやり直したい。
ロレックスも人生も、自分にとってはもう一度向き合う価値があるって思えるようになりました。
こんな情けない話を長々と書いてすみません。
でも、誰かに聞いてもらいたかった。
Takaさんのブログじゃなかったら、こんなふうに書く勇気もなかったと思います。
ありがとうございました。
私は今、20歳年上の地方の歯科医と結婚して3年になります。
1年前に娘が生まれ、表面的には穏やかな家庭を築いているのかもしれません。でも正直、毎日はどこか空虚で、何をしていても心が動かないまま時間が流れています。
短大時代、付き合っていた彼がいました。
年上の社会人で、お金は全くなかったのに、ローンを組んで高いものばかり買うような人でした。
身の丈に合っていないロレックスの時計を、まるで命綱のようにいつも身につけていました。
見栄っ張りで、でも正義感が強く、歪んでるのにどこか真っ直ぐで…不思議と憎めない人でした。モテてました、本当に。私のダンスチームのリーダーで、踊ってる彼は今思い出してもすごくかっこよかったです。
食事代はいつも私が出していました。
それでも一緒にいる時間が楽しくて、少しでも彼の助けになれればと思っていました。
専業主婦に憧れて、婚活で出会ったのが今の夫でした。
安定した職業で穏やか、誠実な人柄に惹かれた…というより、現実的な選択をしたのだと思います。
付き合って3カ月で結婚を決めたのですが、その間、実は前の彼とも1カ月だけ被っていました。
「好きな人ができた」と別れを切り出したとき、彼はきっと止めてくれると信じていました。
でも彼は、「お前が決めたことなら」と静かに引いて、あっさり終わりました。
あのとき、自分から別れたはずなのに、ふられたような気持ちで、毎晩泣いていたのを覚えています。
ああ、私はあの人のことが本当に好きだったんだな…と、ようやく気づいたのは、別れてから随分経ってからのことでした。
最近、無気力な日々が続いています。
娘のことも、心から可愛いと思えない瞬間があります。
そんな自分が情けなくて、消えてしまいたくなることもあります。
子どもがいない方がよかったんじゃないか…そんな考えが頭をよぎったとき、自分自身が本当に嫌になります。
少し前、2泊3日で東京に行ったとき、女友達との食事の中で、彼の話が出ました。
ダンススタジオを持って、今はすごく人気があるそうです。スポンサーもついてるとか。
なんとなく衝動に駆られて、こっそり見に行ってしまいました。
偶然にも彼と目が合い、向こうから声をかけてくれました。
昔と変わらない、あの笑顔を見た瞬間、涙が出そうになりました。
なんなんだろう、この気持ち。
いろんなものを手に入れたはずなのに、何一つ満たされていないような、ぽっかりと空いた心の真ん中に、彼の存在がまだずっと残っていたんだと、思い知らされました。
Takaさんのブログを読んで、「やり直せないか」と、ほんの一瞬、本気で考えてしまいました。
でも、彼は硬派なところがある人で、曖昧な関係は絶対にしないタイプ。
今は新しい彼女ともうまくいってるみたいですし、私のことなんて、1ミリも思い出してなんかいないでしょう。
誰にも言えないことなので、こうして言葉にすることで少し整理したかったのかもしれません。
Takaさんのブログには、こうして心の奥をそっと開かせる力がありますね。
また記事を楽しみにしています。
静かに、自分の気持ちと向き合える時間をくれて、ありがとうございました。
更新されるたびに、自分のなかの静かな部分がそっと揺れるような、そんな時間をいただいています。
今回の記事もまた、とても深く共感しながら読み進めました。
特に、「どの時計を選んだか」ではなく、「なぜそれを選んだか」という一節。
それはまさに、私が時計という存在に対して感じてきたことそのもので、心の奥をじんわりと温められたような気がしました。
私は現在、海外と日本を行き来する生活をしています。
仕事はずっとグローバルに関わるもので、これまでに2カ国で駐在経験があります。バンコクとミュンヘン。
まったく異なる文化圏での生活は決して平坦なものではありませんでしたが、いま振り返れば、それらは人生の財産だったと感じています。
ありがたいことに、仕事は充実しています。もちろん悩みや責任の重さは常にありますが、それでも自分の選んだ道を歩いてこられたことには、どこか満ち足りた思いがあります。
そんな生活のなかで、私にとって“時計”は、ささやかながら大切な存在です。
実際に所有しているのはたった2本だけです。ひとつはロレックスのGMTマスターⅡの黒。これは海外での生活が始まった頃、自分に向けた“覚悟”のような意味で手に入れました。もうひとつは、まだ若かった頃に無理をして買った、パテックフィリップのカラトラバ。あの時計の、控えめでありながら毅然とした佇まいに、当時の自分は憧れを抱いていたのだと思います。
コレクションするタイプではないので、数を増やそうとは思っていませんが、時計を見るのは昔から好きで、雑誌やネットで新作情報を追いかけるのがこの時期の楽しみのひとつです。特にロレックスの発表は、時計好きにとっての“春の儀式”のようなもので、毎年そわそわしてしまいます。
Takaさんがブログで紹介している本も、実はいつもチェックしています。
私は読書が何よりの趣味で、今回紹介されていた3冊もすでに読み終えていました。どれも面白く、誰かに薦めたくなるような良書ばかりでした。Takaさんの読書センスには、毎回うんうんとうなずかされてばかりです。
これまでの人生、たしかに幸せでした。
振り返れば、いろいろな出会いと選択があり、運も良かったのだと思います。
ただ、後悔がまったく無いかといえば、そんなことはありません。
若いころの未熟さや、思慮の浅い判断で失ったものもありますし、「あのとき、ああしていれば」と思うことも一つや二つではありません。
でも、それも含めて“自分の時間”だったのだと思うようになりました。
失敗があったからこそ、今の自分がある。そうやって自分を許しながら、生きてきたように思います。
私は50代、独身です。彼女はいますが、結婚はしないつもりです。
一人になりたいときも多く、この生活の自由さと心地よさは、今の自分には必要なものです。
家庭を持たなかったことを悔やんだことがないわけではありませんが、だからこそ手にした時間や空間があって、それに感謝しながら日々を送っています。
もしこのまま無事に仕事を全うできたら、退職後は世界を気ままに旅しながら、静かに暮らしたいと考えています。
時間を気にせず、ただ本を読んだり、好きな音楽を聴いたり、ときどき気まぐれに文章を書いてみたり。
そして、思い出と向き合いながら、過去を労わるような日々を過ごしていけたらと思います。
Takaさんのブログは、そうした“これからの時間”を大切にして生きていきたいと願う私のような人間にとって、静かな道しるべのように感じられます。時計や本の話題だけでなく、そこに込められた思いや哲学に、いつも励まされています。
どうか、これからも変わらず、あの静かでまっすぐな言葉を届けてください。
遠くから、深く共感しながら読ませていただいています。
精神的にもきついなと思うことはあります。女性ばかりの職場ですので、人間関係が複雑になることもありますし、たまに本当に横暴な方もいて、毎回ぐったりしてしまいます。お酒を飲まれて大声を出したり、トラブルになる方も少なくありません。私はお酒が好きではないので、そういう場面は特に苦手です。
それでも、頑張っています。憧れてこの仕事を目指したからこそ、簡単には諦めたくないんです。素敵な瞬間に出会えることもたくさんありますし、お客様からの感謝の言葉に救われることも多くて、日々の小さな喜びが続ける力になっています。
ビジネスクラスを担当していますが、本当にさまざまなお客様がいらっしゃいます。とても細かく、要求が多く、こちらの対応ひとつで表情がガラッと変わるような方もいます。でも、だからこそ、誠実で丁寧に接してくださるお客様のありがたさを痛感します。そういう方がいると、もう“神様”のように思えてしまいます(笑)。
実は、1年ほど前のあるフライトで、今でも忘れられないお客様がいらっしゃいました。
エグゼクティブな雰囲気で、とてもお洒落かつ洗練された感じが一見冷たそうだったのですが、食事をお持ちしたときも、コーヒーをお持ちしたときも、必ず一言「ありがとう」とおっしゃってくださるんです。何かにつけて、「美味しかった」「ちょうど良かった」「これ、気が利いてますね」と、ほんの少しの言葉なのに、心に残る言い回しばかりで…。
「ビジネスクラスでもらえるポーチとかないですか?」と、ちょっとした冗談のように聞かれて、「あ、無いんですよ」とお答えすると、「そっか、別にいらないから大丈夫。でもあったらもっと嬉しいですね」と、絶妙に空気を和ませてくださって…。
高圧的でもなく、媚びるでもなく、自然体で、しかもユーモアがあって。きっと大分上の立場の方ですが、失礼ながら「なんだか可愛い人だな」なんて思ってしまいました。
そして、Takaさんのブログを読んでいるうちに、ふと「あのときの方と似てるかも」と思うようになったんです。顔も声も知らないのに、不思議ですね。
Takaさんの文章には、深みがあって、包み込むような優しさと、かすかなユーモアがあります。読み終えると、心が落ち着いていることに気づきます。
大学時代から長く付き合っていた彼とは、昨年別れました。
忙しさやすれ違いもありましたが、最終的には彼に好きな人ができたと聞かされ、あっけなく終わりました。私もすでに気持ちはありませんでした。
そんな気持ちのまま仕事に向き合い続けてきましたが、Takaさんのブログに出会って、心が少しずつ前を向くようになりました。
文章には人柄が滲むといいますが、Takaさんの言葉には、どこか“信じていい”と感じさせてくれる力があります。
よく女性は、小説家や文章を書く人に恋をすると言われますが、私もまさにその状態なのかもしれません。
現実の世界で誰かと心を通わせるのが難しいとき、文字の向こうにいる誰かにふと心が惹かれる。そんなこともあるのですね。
これからもブログ、楽しみにしています。
どうかお身体に気をつけて、お仕事もご自分のペースで続けてくださいね。
特に「もっとこうしていればよかったと思うことは、誰にでもあると思います。でも、それでもここまで来たという事実を、どうか否定しないでほしい」という言葉に、胸がぎゅっとなりました。
自然と涙が溢れてきて、しばらく止まりませんでした。
私は10年間、ある人と結婚していました。
夫は本当に誠実で、優しくて、誰よりも努力家でした。完璧な人でした。
駐在していたアメリカで、他州へ出張したときのことです。
現地でレンタカーを運転していた夫が、酒に酔ったピックアップトラックに追突され、亡くなりました。
事故の直後に、彼から「Got hit」とメッセージが届いていたんです。
それから数分後には着信もありました。
でもそのとき、私は8つ下の妹と外で夕食をとっていて、気づかなかったのです。
妹は日本から遊びに来てくれていて、二人で久しぶりに会って食事をしていました。
そのあと、救急隊の方から電話があり、事故のことを知らされました。
驚いてスマホを確認したとき、夫からメッセージと着信があったことに気づきました。
胸が張り裂けそうになりました。
病院に駆けつければ、まだ彼の元気な顔が見られると思っていたのに、すでに彼は亡くなっていました。
妹と二人で病院へ行きました。
妹とは昔から仲の良い姉妹でした。
彼女は高校生のときに母を亡くしていて、私にとっては本当の娘のようでもありました。
でもその日、私は夫と最後の会話ができなかったことが悔しくて、怒りと悲しみの矛先を妹に向けてしまいました。
ひどい言葉を吐きました。
彼女も泣いていました。
あまりのショックで、その場のことをきちんとは覚えていません。
それから何年も経ちましたが、いまだにあのときのことを思い出すと涙が出ます。
妹が来ていなければ、家を出るときにもっと夫と話ができたかもしれない。
電話がかかってきたときに気づいていれば、彼に「愛している」と伝えることができたかもしれない。
そんな思いが、今も心の中をぐるぐる回っています。
妹からはたまに連絡がありますが、私は今もまだ会う気になれません。
けれど最近ようやく、前を向いて歩き出さないといけないと、少しずつ思えるようになってきました。
そして妹にも、きちんと謝りたいという気持ちも芽生えてきました。
夫が最後につけていた腕時計は、ロレックスのエクスプローラーIIでした。
亡くなる一週間前に購入したものです。
Takaさんが初期の頃のブログでその時計のことを書かれていたのを思い出しました。
夫も「二つの時間が見られるからいい」と話していたことがあります。
偶然とは思えませんでした。
ブログの最後に書かれていた「大丈夫。あなたの人生には、まだこれからの時間が、たくさん残されています。その時間をどうか、自分のために使ってください」という言葉に、心を強く動かされました。
夫のことはこれからもずっと忘れません。
でも彼の分まで、生きていこうと思えたのです。
Takaさんの言葉に、心から感謝しています。
本当にありがとうございました。
私は今、UT Austinで学んでいます。専攻は数学です。
女性で数学が好きというと少し意外がられることもありますが、昔から数字や構造の中にある美しさに惹かれていて、自然とこの道に進んでいました。
UT Austinのキャンパスはとても広く、アカデミックな熱気とリベラルな雰囲気が心地よく混ざり合っていて、とても刺激的な環境です。
特にコンピューターサイエンスやビジネス系の授業はレベルが高く、周りの学生たちも本当に意識が高いので、自分も頑張らなきゃと自然に背中を押されます。
オースティンという街そのものにも、音楽やアートがあふれていて、歩くだけでもインスピレーションをもらえる瞬間が多いです。
センスの良いカフェや書店も多く、勉強にも気分転換にもぴったりです。
ただ、夏の暑さはかなり厳しくて、日本のような細やかなサービスはあまり期待できません。
でもその代わりに、人との距離が近く、誰に対してもフレンドリーで、人と違っていても大丈夫という空気が流れているのが、この街の一番の魅力だと思います。
今は母の家に居候しています。
両親は私が中学生の頃に離婚して、親権は父にあります。
父は仕事の関係で日本に残り、母は3年前に年下のアメリカ人男性と再婚して、オースティンに住んでいます。
母のことは嫌いではありませんが、少し直感的というか、浅はかなところがあり、再婚相手も自己主張が強く、実際の生活はあまり安定していないように見えます。
そのため、学費や生活費は今も父に頼っている部分が多いです。
父はアンティークのロレックスを集めていて、昔からとても大切にしてきました。
でも、普段つけているのはグランドセイコーで、最近は手巻きの新しいモデルを愛用していると聞きました。
その話を聞いたとき、Takaさんの価値観とどこか重なるものを感じて、以前にも増してブログに親しみを持つようになりました。
Takaさんのブログを読み始めたのは3年前です。
どの記事も心に残るのですが、今回特に印象に残ったのが、自分が生きている時間と誰かが生きている時間という表現でした。
その言葉を読んだ瞬間に、自然と父のことを思い浮かべていました。
私が小学生の頃、父がシカゴ郊外に駐在していた時期があり、家族三人でそこで4年間を過ごしました。
あの頃はまだ母も一緒にいて、いま振り返れば、家族が揃っていた最後の穏やかな時間だったと思います。
今は父と離れて暮らしていますが、時差のある生活の中でも、ふとしたときに父の時間を思い浮かべながら、自分の今を重ねて考えることがあります。
Takaさんの言葉にあった、二つの時間を同時に生きるという感覚が、まさに今の私の感覚そのものでした。
私はまだ若くて未熟ですが、数学という好きな道を深めていきながら、父に背中を押してもらったこの環境で、自分らしい時間をしっかり生きていけたらと思っています。
Takaさんのブログには、そうした静かな覚悟や、日々を大切に生きる力が、言葉のなかに宿っているように感じます。
これからも楽しみにしています。
いつか直接お礼を言える日が来たらいいなと思います。
私は現在、隕石探査に関連するプロジェクトに携わっており、天文観測データの自動解析や軌道分類、異常検知といった分野に関わる研究を続けています。
大学時代はData ScienceとAIを専攻しており、そのときに大規模な研究プロジェクトに参加させてもらったことがきっかけで、今の道に自然と進んでいきました。
生まれはボストンですが、母が日本人で、10代前半は東京で暮らしていました。
当時はあまり学校に馴染めず、日本の教育環境に息苦しさを感じたことを今でも覚えています。
一方で、家庭では日本語が飛び交い、日本食が食卓に並び、季節の行事も大切にするような環境でしたので、私のなかには確かに“日本人的な感覚”も根づいています。
大学はMITを卒業し、今もアメリカを拠点に暮らしています。
毎日が本当に刺激的で、今は趣味と仕事の境目が曖昧になるくらい、研究に没頭できる日々を送っています。
人によっては少し偏った生活と映るかもしれませんが、私にとっては理想に近い生き方だと感じています。
Takaさんのブログには、私のような研究中心の人生とは全く違う世界が広がっていて、だからこそ強く惹かれます。
特にグローバルな視点と日本的な価値観が自然に融合しているところに、いつも学びを感じています。
言葉の選び方にも丁寧さと深みがあって、ふと読みながら立ち止まり、考え込んでしまうこともあります。
実は、Takaさんのブログを知ったのはもう5年以上前になります。
私がまだ大学生だった頃、なぜか偶然たどり着いて、それ以来ずっと読ませていただいています。
当時、自分という存在を肯定してもらえる場所をなかなか見つけられずにいた私にとって、Takaさんの言葉は静かに寄り添ってくれるような存在でした。
MITでの生活は、まるで世界が一気に広がるような経験でした。
自分のアイデアが受け入れられ、議論が歓迎される環境の中で、初めて自分を認めてもらえた気がしたのです。
そうした感覚は、日本で過ごした幼少期にはなかったものでしたが、だからこそ、日本というルーツを大切にしながらも、アメリカで自分らしさを育ててこれたのだと思います。
これからも、静かにではありますがTakaさんの言葉を楽しみにしています。
読みながら、40年近くも前の高校時代の出来事を、不意に思い出してしまいました。
笑われるかもしれませんが、そのときのある同級生の姿が、どうしてもTakaさんと重なって見えたんです。
私が通っていたのは男子校で、今では進学校と呼ばれていますが、当時は少し荒れた雰囲気の学校でした。
その中で私はバンドのボーカルをやっていて、ライブハウスにも出たりして、まあ多少イキっていた生徒だったと思います。
修学旅行の夜、別のクラスの男子に自分から絡んでしまいました。
今考えれば、虚勢というか、自分の「強さ」や「格好よさ」を演出したかったんでしょう。
でもその彼には親友がいて、後に有名なボクサーになった人なんですが、その彼が数人を連れて私の部屋に乗り込んできました。
「やるんだろ?」と詰め寄られて、部屋には私のクラスメイトもいて。
見栄を張りたい気持ちはあったけれど、実際には足が震えて、喉がカラカラになって、結局「そんなつもりじゃなかった」とごまかすしかありませんでした。
でもその彼は最後まで冷静で、怒鳴ったりはせず、ただまっすぐ私の目を見ていたんです。
その落ち着きと存在感が、今でも強く印象に残っています。
それからの高校生活では、彼と特に親しくなることはありませんでしたが、顔を合わせると自然に会話があって、そのたびに妙に嬉しい気持ちになったのを覚えています。
彼は不良のグループにいたにもかかわらず、どこか群れずにいて、まるで空気のように“自分でいる”感じがありました。
自分の不器用さと比べると、それがものすごく羨ましかったんです。
私は彼に憧れていました。
男が好きとか、そういうことではなく、「あんなふうに堂々と生きてみたい」という、純粋な気持ちでした。
卒業してからもバンドは続けましたが、30を過ぎてきっぱり諦めました。
その後、ラーメン屋、定食屋と挑戦して、どちらも失敗。
今は小さな居酒屋を営んでいて、なんとか5年。常連さんにも恵まれて、ようやく落ち着いてきたところです。
結婚は2度。でも続きませんでした。
今は最近できた彼女が一人。特別何かを期待しているわけではないけれど、誰かと笑える時間があるというのは、それだけでありがたいと感じています。
こうして振り返ると、ほんとうに不器用な人生だったなと思います。
でも、高校を卒業してから、ずっと死ぬ気で働いてきました。
誰に評価されるわけでもなく、誰かに褒められることもほとんどなかったけれど、それでも一歩ずつ、自分なりに歩いてきたつもりです。
そんな私にとって、Takaさんの言葉は本当に大きな支えです。
世界が違う。生き方も、歩んできた道も違う。
でもだからこそ、Takaさんの世界観や言葉の温度が、まっすぐ私の胸に届くのだと思います。
先月、思い切ってGMTマスターⅡの黒を買いました。
ずっと憧れていたロレックス。年齢的にも「今しかない」と思って、無理はしましたが、友人が譲ってくれて、ようやく手に入れることができました。
腕につけたとき、思わずつぶやきました。
「よくここまで来たな」って。
Takaさんが今回の記事で書いていた、
「人生は、簡単じゃない。
でも、それでも、これからの時間は自分の手でつくっていける。」
この言葉が、今の私には何よりも染みました。
高校時代の彼の眼差しに救われたあの夜と、Takaさんの言葉に励まされるこの瞬間。
時間は違えど、あのときの感覚と今の気持ちが、どこかで繋がっているように思えたんです。
これからも、Takaさんの言葉に背中を押してもらいながら、自分の時間を、自分の手でつくっていきたいと思っています。
また、ときどき、こうしてコメントを書かせてください。
心から、ありがとうございます。
生まれてからずっとここで育ち、高校を卒業して以来、30年間、真面目に働いてきました。
勤めているのは地元の会社で、もともとは母の同級生が社長をしており、その縁で紹介してもらったのがきっかけです。
昨年、その社長が亡くなり、東京で暮らしていた一人息子が跡を継ぎました。
それからというもの、会社の空気はがらりと変わり、給与の支払いが遅れることも増えました。
若い社員たちが不安そうにしていたので、私が代表して社長に相談したところ、怒鳴られ、「お前は首だ」とまで言われました。
本気だったのかどうか分かりませんが、あの言葉は今も胸に刺さったままです。
新しい社長は感情的で、モノにあたることもしばしば。声を荒げて怒鳴ることもあり、周囲は常に顔色をうかがっています。
ストレスに耐えきれず、若手の社員もだいぶ辞めていきました。
実は彼、私と同じ高校出身で2学年下。当時は接点もなかったのですが、こんな形で関わるとは思ってもみませんでした。
先日、社長が私の妻と娘について、飲みの席で下品な話題を口にしていたと、部下のひとりから聞きました。
その内容は到底受け入れられるものではなく、聞いたときは体が震えました。
しかも、その話に抗議した部下はその場でクビにされました。
私を庇ってくれたばかりに、そんな結果になってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
妻も辛い思いをしています。
スーパーで社長の奥さんにばったり会い、挨拶をしたところ、「あなたのご主人は仕事ができなくて主人が困ってる」と言われたそうです。
家に帰ってきて、それを謝る妻を見たとき、何とも言えない気持ちになりました。
私は高校時代、勉強だけは得意で、常に学年トップでした。
大学に進学したい気持ちもありましたが、女手ひとつで育ててくれた母にこれ以上負担をかけたくなく、進学は自ら諦めました。
実は、昔からファッションが好きで、Takaさんが紹介しているマルジェラやサングラス、時計の話など、いつも楽しく読んでいます。
贅沢はしていません。妻はパートで家計を助けてくれています。
ロレックスへの憧れは今も消えません。いつか手にしたいと思いながら、雑誌をめくる時間が小さな楽しみです。
今の社長はロレックスを着けていますが、手首に対して時計が緩すぎてあまり似合っていません。
40歳の誕生日に妻がプレゼントしてくれたのは、数万円の時計でした。パートで働いて捻出したお金で買ってくれたことを思うと、私にとっては何よりも大切な一本です。
でも、先日その時計のことを、社内の飲み会で「そんな安物、その年で恥ずかしくないのか」と大声で笑われました。
何が面白かったのか、数人の社員が一緒に笑っていました。
でも、昔から一緒に働いてきた数人は、何も言わずに席を立って帰ってくれました。
その背中を見て、少しだけ救われました。
品格というものは、年齢でも地位でも身につくものではありませんね。
Takaさんのブログには、知性と優しさ、そして品格があります。
文章から伝わる世界観に、私はいつも驚かされ、そして尊敬の気持ちを抱いています。
今回のブログでは不覚にも何故か涙が止まりませんでした。
人生、思い通りにいかないことばかりです。
でも、地道に生きていれば、ささやかな幸せにはきっと出会えると信じています。
実は娘が今年、国立の医学部に合格しました。
ずっと「お医者さんになりたい」と言っていたので、夢を叶えてやることができて、本当に嬉しかったです。
金銭的には苦しいのが正直なところですが、娘のためなら、何一つ辛いことなんてありません。
これからも、静かに、でも真っ直ぐに生きていきたいと思っています。
Takaさんのブログ、これからも楽しみにしています。
今年もGMTマスターⅡの新作は発表されませんでしたね。
私にはこのGMT機能のついた時計にまつわる、少し変わった思い出があります。
それは、20年近く前のスキポール空港のラウンジでの出来事です。
そのとき、私から少しだけ離れた場所に座っていた日本人の出張者の男性が、ロレックスのエクスプローラーⅡを着けていました。
GMT針がついていて、まさに旅する人のための時計。今でも、あのときの彼の腕元の印象が忘れられません。
私の父と兄は、昔からロレックスの愛好家で、家に何本も時計がありました。
ですから自然と私もロレックスに関する知識があり、興味も深く持っています。とはいえ、私自身が持っているのは1本だけ。
コンビのデイトジャスト26mm。今では廃盤となったモデルですが、小ぶりで手首にしっくりとくるサイズ感が気に入っています。派手さはないけれど、何本も持つ必要はないと思えるほど、私にとっては大切な一本です。
オーバーホールに出すときは、しばらく時計がない日々が続くのですが、少しだけ心許なくなるものですね。
実は私は、10代前半を父の駐在の関係でアムステルダムで過ごしました。
当時の私は、年齢より大人びていて、容姿にもそれなりに自信を持っていました。
雑誌のモデルの仕事も少ししていた時期で、街中でも声をかけられることが多く、見られること、注目されることに慣れていたとも言えます。
でも、そんな自信が崩れるような出来事がラウンジで起きたのです。
かなり酔っていた外国人の男性が私の隣に座り、突然体を寄せてきました。
その国名は控えますが、あきらかに常軌を逸した様子で、私は言葉を失ってしまいました。
周囲のスタッフも見て見ぬふり。
当時のヨーロッパには、今以上にアジア人女性に対する偏見が残っていたと思います。「アジア人女性=安く見られる存在」といった目が確かにあった。若かった私は、その現実を初めて突きつけられたような気がしました。
そんなとき、ほんの数メートル先にいた日本人の男性が、突然私に「Kom hier!」と声をかけてくれました。
「こっちにおいでよ」という意味のオランダ語です。発音がネイティブのように自然で、私は無意識にその言葉に従って立ち上がり、その人の隣に移動しました。
ほんの10秒ほどのことでした。でも、あの10秒の長さは、私にとって何分にも感じられるほど怖く、重く、耐え難いものでした。
彼の隣に座らせてもらったとき、私は涙が止まらなくなってしまいました。
彼は私の話を遮ることもなく、ただそっといてくれました。
あとで聞いたところ、オランダ語は話せないとのこと。少しだけ勉強したそうで、「たまたま出た」と。
あまりに自然だったので、「現地の人みたいですね」と言ったら、少し照れたように笑っていました。
「何か持ってきましょうか?」と聞いたら、「じゃあコーヒーをお願いします」と返ってきて、あまりに遠慮がなさすぎて思わず笑ってしまいました。
そのあと、私は一方的に喋りすぎてしまった気もします。彼は落ち着いていて、私が隣にいても変に気取らず、なにか仕事に集中している様子でした。
年齢は私よりずっと上。でも、安心感があって、何だかずっと一緒にいたいような気持ちになっていました。
正直、当時の私は男性にアプローチされることも多く、自分から誰かを好きになることはありませんでした。
でも、その方にだけは、心から惹かれました。
ラウンジを出る直前、どうしても一言だけ聞きたくて戻り、「彼女、いらっしゃるんですか?」と尋ねたら、彼は「結婚しています」と答えました。
その瞬間、自分が勝手に抱いていた期待が音を立てて崩れていくのを感じました。
まるで失恋のような気持ちでした。
それから20年。私は今、ドバイに住んでいます。夫は投資家で、成功していて経済的には何不自由ない暮らしです。
でも会話は少なく、彼がいないとほっとしている自分がいます。
安定を選んだ人生。それが間違っていたとは思いません。
でも、あの日ラウンジで助けてくれた彼との30分の出会いは、今もなお、私の心に強く残っています。
笑われるかもしれません。でも、それが真実です。
彼は、名刺を渡してくるような軽い人ではありませんでした。
だからこそ、あの短い時間が特別だったのです。
Takaさんのブログを読んでいると、なぜかあのときの彼のことが何度も思い出されます。
世界を旅する大人の誠実さや、物に対する眼差しの深さ。
あなたの文章から、彼の面影がふと重なるのです。
そして思います。
「もう一度人生をやり直せるなら、本当に好きな人と一緒になりたい」と。
最近は、そんな気持ちに押し潰されそうになるときがあります。
でも、Takaさんのブログに出会って、私はまた少し、前を向けるようになりました。
時計は、ただの時間を刻む道具ではなく、あの日のような“誰かと過ごした時間”を記憶してくれる、そんな存在かもしれません。
これからも、大切に読み続けます。
ありがとうございます。
正直言ってしまうと、今回発表されたロレックスの新作、どれもいまひとつに感じました。中でもランドドゥエラー。あれはちょっとひどいですね。
ティソのPRXを思わせるケースラインに、妙に中途半端な文字盤の配置。何かこう、「らしくない」んですよ。ロレックスが迷走してるような印象を受けました。時計好きとしては、あれには首をひねるしかないです。
その点、ショパールのアルパインイーグルXPS、あれは本当に素晴らしいと思いました。プラチナの文字盤にL.U.Cムーブメントの組み合わせ、まさに品格と技術の融合ですね。
ヴァシュロン・コンスタンタンの「222」ステンレス復刻モデルも、少し前に出ていましたが、あれも非常に魅力的。PRXっぽさもありますが、伝説の「222」の復活とあって、ファンとしては胸が熱くなります。まあ、入手できそうにありませんが。
あと、パテック・フィリップのカラトラバ、あのプラチナケースにサーモンピンク文字盤のやつ。
あれもいいですね。気品と柔らかさ、色気があって、ああいう時計が“分かってる人の一本”なんだと思います。
時計の価格、ここ数年で本当におかしなことになってますよね。インフレ、そして円安。ダブルで効いてきて、実質ロレックスがどんどん遠くなる感覚があります。
私は郊外で美容整形外科医をしています。父から引き継いだ小さなクリニックですが、自分の裁量で時間を使える分、仕事とプライベートは比較的両立しやすいです。
ただ、美容医療ってクレームが多くて…。はっきり言って“あって当然”くらいの世界です。
ときどき心が折れそうになります。何年やっても慣れません。
今は独身ですが、40になる前には結婚も意識しようかなと考えています。
趣味は時計と車。とはいえ、所有本数はごく少数。モノが多すぎるのが好きではないので、本当に気に入ったものだけに囲まれて暮らしたいタイプなんです。
実は最近、投資詐欺に遭いました。SNSで繋がって、LINEに誘導され、簡単に資産を倍増出来ると思ってしまったんです。
気付けば、全財産の8割が消えていました。
驚くべきことに、母も最近ロマンス詐欺に遭い、かなりの大金を失ったばかりです。
まさか、親子揃って…と我ながら呆れました。
父は昔ながらの堅実な開業医で、私たちが立て続けに騙されたことに対して信じられないと嘆いています。心配なのは父が母のことを許せない気持ちになっていて、それから全く家で会話が無いのです。母は憔悴しきっているので心配です。
でも、幸い収入は安定していますし、趣味もあります。
今回のようにTakaさんのブログに救われた日も少なくありません。
時計は心の支えになるモノだと、つくづく思います。
人生がグラついたときこそ、時と向き合える存在があると、何か軸が戻ってくる気がします。
これからも素敵な記事を楽しみにしています。